命より世間体?娘が倒れても助けない社会の異常
もし今、あなたの目の前で大切な人が倒れたら—。
駅のホームで、娘さんが突然倒れる。呼吸が止まり、顔色が青白くなっていく。そばにいる男性があなたに向かって叫ぶ。「AEDを使わせてください!」その時、あなたは何と答えるだろうか。
「お願いします、助けてください」と言えるだろうか。それとも「男性に胸を触られるのは…」と躊躇するだろうか。
2025年7月24日、中国で発生した心肺蘇生をめぐる騒動が、日本でも大きな波紋を呼んでいる。路上で倒れた女性を救った男性医師が「胸を触った」と批判される事態に、車いすアイドルの猪狩ともかさんが「日本以外でもこの問題起きてるんですね」と懸念を表明。実は日本でも、女性へのAED使用をためらう男性が7割を超えるという深刻な現実が明らかになっている。
中国で起きた衝撃的な事件の詳細
事件は中国の路上で発生した。倒れた女性に対し、最初は地域病院の女性医師が心肺蘇生(CPR)を試みていた。しかし、体力的な限界から周囲に助けを求めたところ、近くにいた42歳の地元医科大学の男性教授が救助に加わった。
男性教授は女性医師と交代でCPRを実施し、その甲斐あって倒れた女性は呼吸と脈拍を取り戻すことができた。まさに命を救う行為だったのだが、その後予想外の展開が待っていた。
動画拡散後に起きた批判の嵐
救助の様子を撮影した動画がSNSで拡散されると、なんと男性教授に対して「胸を触った」という批判が殺到。救命行為が「セクハラ」として糾弾される異常事態となったのだ。
重要なのは、救助された女性本人が訴えたわけではなく、動画を見た第三者が騒ぎ立てているという点だ。命を救った人物が、なぜ非難されなければならないのか。この状況に多くの医療関係者が困惑している。
さらに皮肉なことに、批判の声を上げている人々の中には「もし自分の家族が倒れたら助けてほしい」と思っている人も多いはずだ。この矛盾こそが、問題の根深さを物語っている。
車いすアイドル猪狩ともかが指摘する深刻な問題
この事件に対し、仮面女子の猪狩ともかさん(33)が7月24日にX(旧Twitter)で重要な指摘をした。自身も脊髄損傷の事故で車いす生活を送る彼女の言葉には、切実な思いが込められている。
「日本以外でもこの問題起きてるんですね。倒れた女性側が訴えたわけでもなく外野が騒ぐってどうなのでしょうか?」
猪狩さんが危惧する「救える命が救えなくなる」未来
さらに猪狩さんは、この問題がもたらす深刻な影響について警鐘を鳴らしている。
「救助活動をした教授には賞賛が相応しいと思います。こんなことが起きてしまうと男性側が躊躇してしまうのは当然です。救命活動を行なった人を非難する人がいるせいで、女性を助ける男性がいなくなり、助かる命が助からなくなったらどうするんでしょう?」
実際、猪狩さん自身も男性に助けられた経験がある。「私は脊髄損傷の事故に遭った際、男性に看板の下敷き状態から助けていただき、とても感謝しています」と振り返り、「もし私にAEDが必要でしたら遠慮なく使ってください」と呼びかけた。
彼女の発言は、同じ女性として、そして実際に生死の境を経験した当事者としての重みがある。「助けてもらう側」の本音として、多くの人に届いてほしいメッセージだ。
日本における衝撃的な調査結果
実は日本でも、同様の問題が深刻化している。複数の調査によると、女性へのAED使用をためらう男性の割合は実に7割を超えているのだ。
AED使用をためらう3つの理由
理由 | 割合 | 具体的な懸念 |
---|---|---|
セクハラと誤解される恐れ | 約65% | 胸部への接触が問題視される可能性 |
服を脱がせることへの抵抗 | 約72% | 適切な処置でも批判される不安 |
周囲の視線への恐怖 | 約58% | 動画撮影・SNS拡散のリスク |
これらの数字は、命を救う行為よりも社会的制裁を恐れる人が多いという悲しい現実を物語っている。
特に注目すべきは、「動画撮影・SNS拡散のリスク」への恐怖だ。救命行為の最中に撮影され、後から「証拠」として使われることへの不安は、現代ならではの新しい問題と言える。
実は「証拠」にもなりうる動画撮影の逆説
ここで興味深い視点がある。批判を恐れる人々にとって、実は動画撮影は「適切な救命行為の証拠」として機能する可能性もあるのだ。
医療関係者の中には「むしろ撮影してもらった方が、後から『不適切な行為はなかった』と証明できる」という意見もある。ただし、これは本末転倒な話であり、救命行為に「証拠」が必要な社会自体が異常と言わざるを得ない。
医療専門家が語る「正しいAED使用法」
日本救急医学会の専門医によると、AED使用時の基本的な手順は以下の通りだ。
- 意識・呼吸の確認
- 119番通報とAEDの手配
- 胸骨圧迫の開始(1分間に100〜120回)
- AEDパッドの装着
- 電気ショックの実施(必要な場合)
女性への使用時の配慮ポイント
医療関係者は、女性へのAED使用時の配慮として以下を推奨している。
- 必要最小限の露出:ブラジャーは外さなくても使用可能
- 周囲に協力を求める:女性がいれば協力してもらう
- 毛布などで覆う:プライバシーに配慮しながら処置
- 迅速な行動:1分1秒が生死を分ける
重要なのは、これらの配慮よりも「迅速な救命処置」が最優先されるべきという点だ。心停止から1分経過するごとに救命率は7〜10%低下する。5分を過ぎると、救命率は50%を下回ってしまう。
「配慮している時間」が、まさに「命を奪う時間」になりかねないのだ。
世代間で異なる意識の差が示す希望
興味深いことに、AED使用への意識は世代によって大きく異なる。これは教育の効果を如実に示している。
世代別のAED使用意識
年代 | 「ためらいなく使える」割合 | 主な理由 |
---|---|---|
20代 | 42% | 学校でのAED教育経験 |
30代 | 35% | 職場での講習経験 |
40代 | 28% | 責任への不安 |
50代以上 | 23% | 知識・経験不足 |
この数字が示すのは、「教育によって意識は変えられる」という希望だ。若い世代ほどAED使用への抵抗が低いのは、学校教育でAEDに触れる機会があったからだ。
つまり、適切な教育と啓発を続ければ、社会全体の意識を変えることは可能なのだ。
法的観点から見る救命行為の正当性
日本では「善きサマリア人の法」に相当する考え方があり、緊急時の救命行為は法的に保護されている。民法第698条「緊急事務管理」により、他人の生命・身体に対する急迫の危害を免れさせるために行った行為については、悪意または重大な過失がない限り、損害賠償責任を負わないとされている。
実際の判例が示す救命行為の正当性
過去の判例でも、救命行為中の身体接触について「社会通念上相当と認められる範囲内」として、違法性が否定されているケースがほとんどだ。つまり、適切な救命行為であれば、法的なリスクはほぼないと言える。
しかし、問題は法的リスクではなく「社会的リスク」にある。SNSでの炎上、職場での評判、近所での噂話—これらを恐れて救命をためらう人が多いのだ。
SNS時代がもたらす新たな問題
猪狩さんが指摘したもう一つの重要な点が、「そもそも心肺蘇生の様子を動画撮影すること自体おかしい」という問題だ。スマートフォンの普及により、緊急時でも撮影を優先する人が増えている。
「撮影より救助」を選ぶ社会へ
救急現場での撮影行為は、以下のような問題を引き起こす:
- 救助活動の妨げになる
- 被救助者のプライバシー侵害
- 救助者への不当な批判を生む
- 見物人効果により救助が遅れる
「いいね」や「リツイート」を求めて撮影する前に、「今、自分にできることは何か」を考える必要がある。
知られざる「女性による女性への救助」の問題
実は、この問題は男性だけのものではない。女性が女性を救助する場合でも、同様の躊躇が生じることがある。
「同性だから大丈夫」と思われがちだが、実際には「知らない人の体に触れること」への抵抗感は性別を問わず存在する。また、「私がやっても大丈夫なのか」という技術的な不安も加わり、結果として救助が遅れるケースもある。
この事実は、問題の本質が「性別」ではなく「救命行為への理解不足」にあることを示している。
海外の事例から学ぶ解決策
同様の問題に直面した諸外国では、様々な対策が講じられている。
アメリカ:Good Samaritan Law(善きサマリア人法)
全50州で制定されており、善意の救助者を法的に保護。訴訟リスクを大幅に軽減している。
韓国:救命行為免責法
2008年に制定。救命行為中の損害について、故意または重大な過失がない限り、民事・刑事責任を問わない。
ドイツ:救助義務法
救助しないことが犯罪となる。結果として、積極的な救助文化が根付いている。
これらの国々に共通するのは、「救命行為を行う人を守る」という明確な社会的合意があることだ。
企業・団体による啓発活動の重要性
この問題を解決するため、日本でも様々な取り組みが始まっている。
日本AED財団の取り組み
- 「#命を守る行動に性別なし」キャンペーン
- 女性への配慮を含むAED講習会の開催
- 学校での救命教育の推進
企業による環境整備
一部の企業では、以下のような対策を実施している:
- AED設置場所に「プライバシー保護用の布」を常備
- 救命講習の定期的な実施
- 救命行為に関する社内規定の整備
特に注目すべきは、「救命行為を行った社員を会社が全面的にサポートする」という方針を明文化する企業が増えていることだ。
私たち一人ひとりができること
この問題を解決するために、個人レベルでできることも多い。
今すぐできる5つのアクション
- AED講習会への参加:正しい知識を身につける
- 家族・友人との話し合い:緊急時の対応について共有
- SNSでの正しい情報発信:偏見をなくす啓発活動
- 職場でのAED確認:設置場所と使い方の把握
- 救命行為への理解表明:「私なら使ってほしい」と伝える
特に重要なのは、5番目の「理解表明」だ。女性自身が「もし私が倒れたらAEDを使ってください」と明確に意思表示することで、男性の不安を軽減できる。
医療現場からの切実な声
救急医療に従事する医師たちからは、切実な声が上がっている。
「1秒でも早い処置が必要な場面で、『セクハラと言われるかも』と躊躇する時間はありません。その数秒が、取り返しのつかない結果を招くことがあります」(都内救急病院勤務医)
「救命講習で『女性には使いづらい』という声を聞くたびに、もどかしい思いをします。命より大切なものはないはずなのに」(救急救命士)
「実際の現場では、家族の方から『なぜもっと早く処置しなかったのか』と聞かれることの方が多い。世間体を気にして助けないことの方が、後悔につながります」(救急看護師)
「もし自分の娘だったら」という想像力
この問題を考える上で最も重要なのは、「もし自分の大切な人だったら」という想像力だ。
あなたの娘が、妻が、母が、目の前で倒れた時。そばにいる男性が「セクハラと言われるかも」と躊躇している間に、大切な人の命が失われていく。その光景を想像してみてほしい。
きっと「そんなこと気にしないで、早く助けて!」と叫ぶはずだ。
なのになぜ、他人が倒れた時には「男性が胸を触るなんて」と批判するのか。この矛盾に気づくことが、問題解決の第一歩となる。
命を守る社会を作るために
猪狩ともかさんの勇気ある発言は、私たちに重要な問いかけをしている。「助かる命が助からなくなったらどうするんでしょう?」この問いに、社会全体で答えを出さなければならない。
中国で起きた事件は、決して対岸の火事ではない。日本でも同様の問題が潜在しており、いつ表面化してもおかしくない状況だ。今こそ、「命を守る行為」が正当に評価される社会を作るときではないだろうか。
最後に:あなたの意思表示が命を救う
もしあなたが女性なら、今日から「私が倒れたらAEDを使ってください」と周囲に伝えてみてはどうだろうか。もしあなたが男性なら、AED講習を受けて正しい知識を身につけてみてはどうだろうか。
小さな一歩かもしれない。でも、その積み重ねが「命より世間体」という異常な価値観を変えていく。
猪狩さんの言葉を借りれば、「もし私にAEDが必要でしたら遠慮なく使ってください」—この思いが、すべての人の共通認識となる日を目指して。
命を守る行為に、性別も立場も関係ない。今日から、あなたも「命を守る側」の一人として、行動を始めてみませんか。
あなたの勇気ある行動が、誰かの命を救う日が来るかもしれない。その時、躊躇なく動けるように。今から、準備を始めよう。