なぜ今「核武装」なのか?参政党候補の衝撃発言が問う日本の選択
2025年7月20日に迫る参議院選挙を前に、参政党公認のさや氏(東京選挙区)が核武装について「最も安上がり」と発言したことが大きな議論を呼んでいる。被爆80年という節目の年に、原爆の悲劇を経験した日本で飛び出した核武装論。しかし、なぜ今このタイミングで、しかも被爆地から最も遠い東京でこうした発言が出てきたのか。7月3日に日本テレビのYouTube番組で配信されたこの発言の背景には、日本社会の深刻な変化が潜んでいる。
物議を醸した「核武装は最も安上がり」発言の全容
問題となったのは、日本テレビが運営するYouTubeチャンネル「投票所集会~参院選2025 東京選挙区~」に出演した際の発言だ。さや氏は番組内で、日本の安全保障について持論を展開。その中で飛び出したのが「核武装は最も安上がりで、安全保障を最も強化する手段の一つ」という主張だった。
さらに、さや氏は日米安全保障条約についても物議を醸す表現を使用。「みかじめ料を払いながら、自分たちも備える」という、まるで暴力団の用語を彷彿とさせる言葉で説明し、「これが常識的なやり方」と述べた。番組司会者から核保有と日米安保の関係について問われると、「アメリカに頼りつつも、自分たちで備えるのは当然」と答え、参政党として核保有を含む防衛力について検討していることを明らかにした。
「個人的見解」としながらも党の方針を示唆
発言後、さや氏は「個人的な見解」と前置きしたものの、参政党としても核保有を含む防衛力について検討していると述べており、個人の意見と党の方針の境界線が曖昧な状態となっている。実際、参政党の公式見解では「核保有国が核を使わないようにするための抑止力」について言及しているが、直接的な核武装については明確な立場を示していない。
被爆80年の節目に広がる波紋
2025年は広島・長崎への原爆投下から80年という節目の年だ。昨年、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞を受賞し、核廃絶への機運が高まる中での発言だけに、その影響は計り知れない。
被爆者団体からの強い反発
被爆者団体からは「被爆者の『核兵器は一つもあってはならない』という切実な願いを踏みにじるもの」という強い批判の声が上がっている。原爆の悲惨さを身をもって体験し、核廃絶を訴え続けてきた被爆者にとって、「安上がり」という経済的な観点から核武装を語ることは、到底受け入れられるものではない。
広島県被団協の関係者は「私たちは80年間、核兵器の恐ろしさを訴え続けてきた。それを『安上がり』の一言で片付けられることに、深い悲しみと怒りを感じる」と語る。長崎の被爆者からも「核兵器がもたらす破壊と苦しみを知らない世代が、このような発言をすることに危機感を覚える」という声が聞かれた。
東京という舞台が持つ意味:被爆地からの距離
注目すべきは、この発言が東京選挙区の候補から出たという点だ。東京は広島から約680km、長崎から約960km離れており、日本の主要都市の中で被爆地から最も遠い場所の一つである。この地理的距離は、核兵器に対する心理的距離にも反映されている可能性がある。
都市問題の専門家は「東京では原爆の記憶が風化しやすい環境がある。修学旅行で広島・長崎を訪れる機会も減少し、被爆者の生の声に触れる機会が限られている」と指摘する。実際、東京都内の高校生への調査では、原爆投下の正確な日付を答えられたのは約40%に留まった。
参政党の核政策と矛盾する発言
参政党は2020年に結成された比較的新しい政党で、「日本の国益を守る」ことを掲げている。党の公式サイトでは、安全保障政策について「専守防衛の堅持」「自主防衛力の強化」などを謳っているが、核武装については明確な言及を避けてきた。
党内からも困惑の声
さや氏の発言は、党内でも波紋を広げている。ある党関係者は「候補者の個人的見解とはいえ、党のイメージに大きな影響を与える発言。事前に党執行部と調整すべきだった」と困惑を隠さない。別の関係者は「参政党は既存政党とは違う新しい選択肢を提供することを目指しているが、このような過激な発言は有権者を遠ざける可能性がある」と懸念を示した。
日本の非核三原則と相容れない主張
日本は戦後一貫して「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を国是としてきた。この原則は、唯一の被爆国として核兵器の恐ろしさを知る日本が、世界に向けて発信してきた平和のメッセージでもある。
国際社会からの視線
日本の核政策は国際社会からも注目されており、特に核兵器禁止条約への参加を求める声が高まっている。そんな中での核武装論は、日本の国際的な立場を危うくする可能性がある。外務省関係者は「日本は核軍縮・不拡散の分野で重要な役割を果たしてきた。このような発言が海外でどう受け止められるか懸念される」と語る。
「安上がり」という表現への批判
さや氏が核武装を「最も安上がり」と表現したことも、大きな批判を集めている。防衛問題の専門家は「核武装には膨大な開発費用、維持管理費、そして国際的な制裁リスクが伴う。『安上がり』という認識は現実を無視している」と指摘する。
核開発にかかる真のコスト
実際、核兵器の開発・維持には莫大な費用がかかる。核弾頭の製造だけでなく、運搬手段(ミサイルや潜水艦)の開発、核実験施設の建設、安全管理システムの構築など、総合的なコストは天文学的な数字になる。例えば、北朝鮮の核開発プログラムには年間GDP の20-30%相当(推定30-40億ドル)が投じられているとされ、これが経済制裁と相まって国民生活を圧迫している。日本が同様の道を選べば、防衛費は現在の5兆円から少なくとも15-20兆円規模に膨らむ可能性がある。
防衛大学校の教授は「核武装は決して『安上がり』ではない。むしろ、通常戦力の強化よりもはるかに高額になる可能性が高い。さらに、日本が核武装すれば、周辺国との軍拡競争を招き、かえって安全保障環境を悪化させる恐れがある」と警鐘を鳴らす。
選挙戦略としての過激発言か
一部では、さや氏の発言が選挙戦略の一環ではないかという見方もある。注目を集めることで知名度を上げ、特定の層からの支持を得ようとする「炎上商法」的な手法だという指摘だ。
SNSでの反応
発言はSNSで瞬く間に拡散し、様々な反応を呼んだ。支持する声もある一方で、批判的な意見が圧倒的多数を占めた。「#核武装反対」「#被爆80年」などのハッシュタグがトレンド入りし、多くのユーザーが懸念を表明した。
あるTwitterユーザーは「被爆者の方々がまだご存命の中で、このような発言をすることに憤りを感じる」と投稿。別のユーザーは「参政党は新しい政治を標榜していたはずなのに、結局は過激な発言で注目を集めようとしているだけ」と失望感を露わにした。
他党の反応と政治的影響
さや氏の発言に対し、他の政党からも批判の声が相次いでいる。与党からは「無責任な発言」「国際社会での日本の立場を損なう」といった批判が出ており、野党からも「被爆国日本の歴史を軽視している」「平和憲法の理念に反する」といった非難の声が上がっている。
選挙への影響
この発言が参院選にどのような影響を与えるかも注目される。政治評論家は「参政党は既存政党に不満を持つ層の受け皿となることを狙っていたが、このような過激な発言は穏健な有権者を遠ざける可能性がある」と分析する。一方で、「強い日本」を求める一部の有権者からは支持を得る可能性もあり、選挙結果が注目される。
核をめぐる世界情勢と日本の立場
ウクライナ戦争以降、核の脅威が再び現実的なものとなっている中、日本の核政策は岐路に立たされている。北朝鮮の核・ミサイル開発、中国の軍事力増強など、東アジアの安全保障環境は厳しさを増している。
核の傘と自主防衛のジレンマ
日本は米国の「核の傘」に依存しつつ、非核三原則を堅持するという微妙なバランスの上に立っている。この状況下で、核武装論が浮上することは、ある意味で不可避かもしれない。しかし、国際法や国内世論、そして何より被爆者の思いを考慮すれば、核武装という選択肢は現実的ではない。
国際政治学者は「日本の安全保障を強化する方法は核武装だけではない。外交力の強化、通常戦力の充実、同盟関係の深化など、様々な選択肢がある。短絡的に核武装に走ることは、かえって日本の安全を脅かす」と指摘する。
若い世代と核問題:世代間の認識ギャップ
さや氏は比較的若い世代の候補者であり、戦争や原爆の記憶が薄れつつある世代の代表とも言える。最新の意識調査によると、20代の約35%が「日本の核武装を検討すべき」と回答しており、60代以上の15%と比べて2倍以上の開きがある。ゲームや映画で核兵器を「強力な武器の一種」として認識してきた世代と、実際の被害を知る世代との間に、深刻な認識ギャップが生まれている。
平和教育の重要性
教育関係者からは「平和教育の重要性を再認識する必要がある」という声が上がっている。広島市の中学校教諭は「生徒たちに原爆の恐ろしさを伝え続けることが、私たちの使命。政治家の方々にも、もう一度原爆資料館を訪れ、被爆者の声に耳を傾けてほしい」と語る。
参政党の今後の対応
さや氏の発言を受けて、参政党がどのような対応を取るかが注目される。党としての公式見解を明確にし、候補者の発言との整合性を取る必要がある。また、有権者に対して、党の安全保障政策を分かりやすく説明することも求められる。
政治的責任の所在
政党は候補者の発言に対して一定の責任を負う。特に、公認候補であれば、その発言は党の方針と見なされることが多い。参政党執行部は、さや氏の発言をどう扱うか、難しい判断を迫られている。
まとめ:被爆80年の意味を問い直す
被爆80年という節目の年に起きた今回の騒動は、日本社会に重要な問いを投げかけている。戦争の記憶が薄れ、国際情勢が複雑化する中で、私たちはどのように平和を守り、安全を確保していくべきか。
核武装という選択肢を「安上がり」と表現することの是非を超えて、日本が進むべき道について、国民的な議論が必要だ。その際、忘れてはならないのは、80年前の夏、広島と長崎で起きた悲劇と、今なお苦しみ続ける被爆者の存在である。
参院選を前に、各党・各候補者の安全保障政策を冷静に比較検討し、日本の未来を託すにふさわしい選択をすることが、有権者一人一人に求められている。被爆80年の今年こそ、核なき世界への道筋を改めて考える機会としたい。