改正ストーカー規制法が成立、AirTag悪用に歯止め
2025年12月3日、参議院本会議で全会一致により改正ストーカー規制法が可決・成立しました。この法改正により、AirTagなどの紛失防止タグを悪用したストーカー行為に対する法的規制が強化され、被害者保護の仕組みが大きく前進することになります。
近年、AppleのAirTagに代表される紛失防止タグは、財布やカバン、鍵などの紛失物を探すための便利なツールとして広く普及してきました。価格も手頃で、誰でも簡単に購入できることから、全世界で数千万個以上が販売されていると推定されています。しかし、その一方で、この技術を悪用して他人を追跡するストーカー行為が急増し、深刻な社会問題となっています。
被害相談が3年で3倍以上に急増
警察庁の統計によると、紛失防止タグを悪用したストーカー被害の相談件数は驚くべき速度で増加しています。2021年にはわずか3件だった相談が、2022年には113件、2023年には196件、そして2024年には370件へと3倍以上に膨れ上がりました。さらに2025年も9月時点ですでに前年を上回るペースで推移しており、被害の深刻化が止まらない状況です。
これらの数字は氷山の一角に過ぎない可能性もあります。実際には、紛失防止タグによる追跡に気づかず、被害を認識していない人や、相談をためらっている被害者も少なくないと考えられます。特に、親密な関係にあった相手からの追跡の場合、被害者が「これくらいは仕方ない」と考えてしまうケースもあり、実際の被害者数はさらに多い可能性があります。
実際に起きた深刻な被害事例
紛失防止タグの悪用による被害は、プライバシー侵害にとどまらず、身体的な危険を伴うケースも報告されています。以下、実際に報告された事例を見ていきましょう。
離婚調停中の女性を追跡
ある離婚調停中の女性は、DVから逃れるため夫に居場所を秘密にしていました。しかし、子どもが夫と面会した際に渡されたぬいぐるみの中に紛失防止タグが仕掛けられており、女性の居場所が追跡されていた事例がありました。このような手口は、被害者が気づきにくく、長期間にわたって監視される危険性があります。子どもを介して追跡デバイスを仕掛けるという悪質な手法は、被害者に大きな心理的ダメージを与えます。
車に取り付けて衝突事故
より危険な事例として、好意を寄せる女性の車に紛失防止タグを無断で取り付けた男が、自分の車で女性を追いかけて衝突させるという事件も発生しています。単なる位置情報の把握だけでなく、実際の物理的な接触や事故にまで発展するケースもあるのです。この事例では、女性が怪我を負い、車も大きく損傷しました。追跡行為がエスカレートし、重大な犯罪につながる危険性を示す典型的なケースと言えます。
警察による逮捕事例
2024年2月、北陸地方の女性から「車に紛失防止タグを取り付けられた」という相談を受けた警察が、つきまとい行為を繰り返したとして男をストーカー規制法違反容疑で逮捕しました。ただし、この逮捕は紛失防止タグそのものではなく、それに伴うつきまとい行為に対してのものでした。つまり、法改正前は紛失防止タグの取り付け行為自体を直接的に取り締まることが困難だったのです。
ストーカー以外の悪用事例
紛失防止タグの悪用は、ストーカー行為だけに限りません。車両盗難グループが高級車にタグを仕掛けて駐車場所を特定したり、窃盗犯が狙った家の住人の行動パターンを把握するためにタグを利用したりする事例も報告されています。便利な技術が犯罪に悪用される現実は、社会全体で対処すべき課題となっています。
AirTagの仕組みとなぜ悪用が可能なのか
紛失防止タグの代表格であるAppleのAirTagは、本来は紛失物を探すための便利なツールです。その仕組みを理解することで、なぜ悪用が可能になってしまうのかが見えてきます。
GPS不要の革新的な追跡システム
多くの人が誤解していますが、AirTagにはGPS機能は搭載されていません。代わりに、Bluetooth通信と世界中のAppleデバイスのネットワークを活用した独自の仕組みを採用しています。
AirTag自体は定期的にBluetooth信号を発信するだけで、それを近くのiPhone、iPad、Macが受信すると、そのデバイスの位置情報が暗号化されて「探す」ネットワークに送信されます。この仕組みにより、世界中の数億台のAppleデバイスが追跡ネットワークとして機能しているのです。
興味深いのは、AirTagを使っていないiPhoneでも、比較的新しいOSバージョンで位置情報などの設定がオフでなければ、誰のiPhoneでも中継地点となるという点です。つまり、街中を歩いている人のiPhoneが、知らないうちにAirTagの位置情報を中継している可能性があるのです。
高精度位置測定を可能にするUWB技術
iPhone 11以降のモデルに搭載されているU1チップは、UWB(Ultra Wideband:超広帯域無線)技術を利用しており、Bluetoothだけでは数メートル程度の精度しか得られないのに対し、数十センチ単位での位置特定が可能になっています。
この高精度な位置測定技術が、本来の紛失物探しには非常に便利である一方で、悪用された場合には極めて正確な追跡を可能にしてしまうのです。たとえば、ビル内のどの階のどの部屋にいるかまで特定できる精度があるため、ストーカー行為に使われた場合の脅威は計り知れません。
バッテリーの持続性
AirTagは一般的なコイン型電池(CR2032)で動作し、約1年間交換不要という長寿命を誇ります。これは正当な使用においては非常に便利な特徴ですが、悪用された場合には長期間にわたって追跡され続けるリスクを意味します。
なぜこれまで法規制の対象外だったのか
実は、2021年の法改正でGPS機器による位置情報の無断取得行為はすでに禁じられていました。しかし、AirTagなどの紛失防止タグは通信方式が異なるため、この規制の対象外となっていたのです。
GPS機器は衛星からの電波を受信して位置を測定しますが、紛失防止タグはBluetoothと周囲のスマートフォンを経由して位置を特定する仕組みのため、法律の想定外でした。この法の抜け穴を悪用する加害者が増加し、今回の法改正につながりました。
法律の制定当時、紛失防止タグはまだ広く普及しておらず、立法者もその悪用の可能性を十分に想定できていなかったという側面もあります。技術の進化と法整備のタイムラグが、この問題を生み出した一因と言えるでしょう。
改正法で何が変わるのか
今回の改正により、紛失防止タグを使ったストーカー行為に対する規制が大幅に強化されます。具体的に見ていきましょう。
新たに規制対象となる行為
改正法では、以下の行為が新たに警告や禁止命令の対象となります:
- 相手の承諾を得ずに紛失防止タグで位置情報を取得する行為
- 相手のかばんや自動車などに無断でタグを取り付ける行為
こうした行為を繰り返した場合は、ストーカー行為罪が適用されることになります。ストーカー行為罪の罰則は、6月以下の懲役または50万円以下の罰金です(令和7年6月1日以降は「懲役」が「拘禁刑」に読み替えられます)。
警察の職権による警告制度の新設
これまでは、加害者への警告は被害者の申し出が必要でしたが、改正法では警察の職権で警告を出せるようになります。これにより、被害者が声を上げにくい状況でも、警察が積極的に介入できるようになります。
特に、DVやパワハラなど力関係に差がある場合、被害者が加害者への警告を望んでいても、申し出ること自体に恐怖を感じるケースが少なくありません。職権警告制度は、そうした被害者の負担を軽減し、より迅速な保護を可能にする重要な改正点です。
施行時期
改正法は公布から20日後に施行される予定です。2025年12月3日に成立したため、年内には施行される見通しです。施行後は、紛失防止タグの悪用に対する取り締まりが本格化することが期待されます。
自分を守るための対策
法改正により規制は強化されますが、自衛のための対策も重要です。以下、具体的な自衛策を紹介します。
iPhoneユーザーの場合
iPhoneには、知らないAirTagが自分と一緒に移動していることを検知する機能が標準で搭載されています。「持ち物を追跡できます」という通知が表示された場合は、すぐに確認しましょう。
この通知は、所有者から離れたAirTagが一定時間(通常8時間から24時間)自分と一緒に移動していると判断された場合に表示されます。通知をタップすると、AirTagの情報や、いつから一緒に移動しているかを確認できます。
Androidユーザーの場合
Appleは「Tracker Detect」というAndroid向けアプリを提供しています。このアプリを使えば、Androidユーザーでも近くのAirTagを検知できます。ただし、iPhoneのように自動的に通知される機能はなく、手動でスキャンする必要がある点に注意が必要です。
最近では、Androidの新しいバージョンでも、不明なBluetoothトラッカーの検知機能が実装されつつあります。AndroidとAppleが協力して、プラットフォームを超えた悪用防止策を進めている状況です。
定期的なチェック
カバンや車の中、ポケット、コートの内側など、見知らぬ小型デバイスがないか定期的に確認することも重要です。AirTagは直径約3.2cm、厚さ約0.8cmの円形で、比較的小さいため、隠されやすい特徴があります。
特にチェックすべき場所:
- 車のバンパー内側、ホイールハウス、トランク
- バッグの内ポケットや隠しポケット
- コートやジャケットの裏地
- ぬいぐるみやプレゼントの内部
- 自転車やバイクのフレーム内
不審なタグを発見したら
もし不審な紛失防止タグを発見した場合は、以下の対応を取りましょう:
- すぐに警察に相談する(最寄りの警察署または#9110)
- タグを取り外す前に写真を撮影しておく(証拠保全のため)
- 発見場所や状況を記録しておく(いつ、どこで、どのように発見したか)
- 可能であればタグのシリアル番号を記録する
- 取り外した後もタグを保管しておく(警察に提出する可能性があるため)
テクノロジー企業の対応
Apple自身も、AirTagの悪用防止に向けた対策を進めています。
ストーカー対策アップデート
Appleは2022年に、仕込まれたAirTagの距離と方向が分かる精密検索機能に対応するアップデートを実施しました。これにより、不審なAirTagをより素早く発見できるようになっています。
精密検索機能を使うと、画面上に矢印とおおよその距離が表示され、AirTagの場所まで誘導されます。これにより、カバンのどのポケットに入っているか、車のどの部分に取り付けられているかを特定しやすくなりました。
警告音の改善
所有者から離れた状態で一定時間が経過すると、AirTagから警告音が鳴る仕組みも実装されています。当初は3日後に警告音が鳴る設定でしたが、悪用防止のため、現在は8時間から24時間程度に短縮されています。
ただし、この音を止める改造方法がインターネット上で共有されるなど、完全な対策とは言えない状況も残っています。Appleは、ハードウェアレベルでの改善も検討していると報じられています。
所有者情報の登録
AirTagを設定する際には、Apple IDへの登録が必須となっており、不正利用の抑止力となっています。警察がAirTagを押収した場合、Appleに照会することで所有者を特定できる仕組みになっています。
今後の課題と展望
今回の法改正は大きな前進ですが、まだ課題も残されています。
他メーカーの紛失防止タグへの対応
AirTag以外にも、Samsung Galaxy SmartTag、Tile、Chipolo、MAMORIOなど、さまざまなメーカーが紛失防止タグを販売しています。これらのデバイスも同様に悪用される可能性があり、包括的な対策が必要です。
特に、各社の検知システムには互換性がなく、例えばiPhoneではAirTag以外のタグを検知しにくいという問題があります。業界横断的な標準化が求められています。
技術と法規制のバランス
紛失防止タグは、本来は非常に便利で有用な技術です。過度な規制により、正当な利用者が不便を強いられることのないよう、適切なバランスを取ることが求められます。
例えば、認知症の高齢者の徘徊対策や、子どもの見守りなど、正当な理由で位置情報を把握したいケースも存在します。こうした用途と、悪用防止のバランスをどう取るかが今後の課題です。
国際的な協調
紛失防止タグは世界中で使用されており、国境を越えた追跡も可能です。日本だけでなく、各国が協調して規制や対策を進めることが重要です。
被害者支援の充実
法規制だけでなく、被害者への支援体制の充実も重要です。相談窓口の周知や、被害に遭った際の対応マニュアルの整備、心理的ケアの提供など、総合的な対策が必要とされています。
専門家の見解
セキュリティ専門家は、今回の法改正を評価しつつも、技術面での対策の重要性を指摘しています。「法規制は重要だが、それだけでは限界がある。技術的な悪用防止策と、利用者の意識向上が不可欠」との声が上がっています。
また、弁護士からは「職権警告制度の導入は画期的だが、警察がどの程度積極的に活用するかが重要。運用状況を注視する必要がある」との指摘もあります。
まとめ:安全な社会のために
2025年12月3日に成立した改正ストーカー規制法は、AirTagなどの紛失防止タグを悪用したストーカー行為に対する重要な一歩となります。被害相談が3年で3倍以上に増加している現状を考えると、この法改正は時宜を得たものと言えるでしょう。
しかし、法律だけですべての被害を防ぐことはできません。一人ひとりが自衛の意識を持ち、不審な兆候に気づいたらすぐに相談することが大切です。また、テクノロジー企業も、製品の悪用を防ぐための技術開発を継続する必要があります。
便利な技術が悪用されることなく、誰もが安心して利用できる社会を実現するために、法規制、技術対策、そして私たち一人ひとりの意識向上が不可欠です。紛失防止タグは本来、私たちの生活を便利にするための素晴らしい技術です。その本来の価値を損なうことなく、悪用を防ぐ仕組みを整えることが、これからの社会に求められています。
相談窓口:ストーカー被害に遭った場合は、最寄りの警察署または警察相談専用電話「#9110」にご相談ください。また、配偶者からの暴力に関する相談は、DV相談ナビ「#8008」も利用できます。一人で悩まず、早めに相談することが被害の拡大を防ぐ鍵となります。
