2026年1月17日、あの日から30年の節目
2026年1月17日、阪神淡路大震災から30年の節目を迎えました。午前5時46分、神戸市中央区の東遊園地では「1.17のつどい」が開催され、地震発生時刻に合わせて約1分間の黙とうが捧げられました。天皇、皇后両陛下も神戸市で開かれた追悼式典に出席され、犠牲となった6,434人の方々を悼みました。
この大震災は1995年1月17日午前5時46分52秒に発生し、マグニチュード7.3を記録。死者6,434人(うち災害関連死912人)、全壊住宅18万6,175世帯という甚大な被害をもたらしました。多くの命が失われたこの震災は、日本の防災体制を根本から見直す転換点となりました。
「よりそう」の文字に込められた思い
東遊園地の追悼会場には、1月16日17時から1月17日20時まで紙灯籠と竹灯籠が並べられ、「よりそう」の文字が浮かび上がりました。この文字には、東日本大震災、熊本地震、そして能登半島地震など、その後も続く被災地への連帯の思いが込められています。
坂井防災担当大臣は式典で「震災からの貴重な教訓をいかして、引き続き人命最優先の防災立国の確立に向けて取り組んでいく」と述べ、30年の節目を新たな決意の場としました。天皇、皇后両陛下は追悼式典の後、「人と防災未来センター」を訪問され、震災の教訓を伝える施設の役割に深い関心を示されました。
震災が変えた日本の防災体制
阪神淡路大震災は、日本の防災システムを大きく変革させました。最も重要な変更点の一つが、震度階級の見直しです。従来の8段階から現在の10段階(震度5と6を「弱」「強」に細分化)へと変更され、観測方法も人間の主観的判断から、地震計による客観的測定へと進化しました。
また、大地震直後の円滑な緊急輸送を実現するため、「緊急輸送道路」が新たに整備されました。水道管やガス管も耐震性の高いものへの交換が進められ、ライフラインの強靭化が図られました。さらに、2004年から試行運用が始まり、2007年に一般向けに提供が開始された「緊急地震速報」も、この震災の教訓から生まれたシステムです。
もし31年前に現代の技術があったら
気象庁によれば、阪神淡路大震災の発生時刻と震源位置から計算すると、震度7を観測した神戸市の一部地域でも、最大でわずか3秒程度の猶予しか得られなかったことがわかっています。現代の緊急地震速報があったとしても、揺れの到達前に警報を届けることは極めて困難だったでしょう。しかし、この限界を知ることで、「事前の備え」の重要性がより明確になりました。
能登半島地震が突きつけた新たな課題
2024年1月1日に発生した能登半島地震(マグニチュード7.6)は、阪神淡路大震災から得た教訓が、果たして十分に活かされているのかという問いを私たちに突きつけました。エネルギーは阪神淡路大震災の約3倍に達したこの地震では、半島特有の地理的条件が災害対応を困難にしました。
金沢から輪島まで車で2時間、珠洲までさらに30分弱という約140キロの距離。半島先端部では道路やライフラインが寸断され、多くの集落が孤立しました。防災の専門家は「阪神大震災以降、新潟中越、東日本大震災、熊本など大規模災害を経験して、その都度同じような課題を指摘している」と述べ、教訓の実装に課題が残ることを指摘しています。
災害関連死という見えない犠牲
阪神淡路大震災では、直接死5,522人に対し、災害関連死が912人発生しました。これは避難所生活の過酷さや、医療・福祉サービスの途絶による二次的な被害です。この問題は30年前から指摘され続け、2016年の熊本地震では災害関連死が直接死を上回る事態となりました。能登半島地震でも同様の課題が浮き彫りになっており、特に高齢化が進む地域では避難所環境の改善が急務となっています。
2026年、防災庁設立への期待と課題
三菱総合研究所は2026年を前に、阪神淡路大震災30年目の提言として「防災庁の設立とともに、事前復興計画の改善と普及を進めるべき」と発表しました。事前復興計画とは、大災害が発生する前に復興のビジョンを描いておく取り組みです。
提言では、阪神淡路大震災の経験から得られた「地域産業のレジリエンス」に関する2つの教訓を、事前復興計画に組み込むべきだとしています。人口減少に直面する現代の自治体が大災害に見舞われた場合、1995年当時よりもはるかに厳しい条件下で同じ課題に対峙することになると警告しています。
若い世代による震災の伝承
兵庫県では、「震災を風化させてはならない」という決意のもと、世代や地域を越えて経験と教訓を「繋ぐ」取組を進めています。特筆すべきは、震災を直接経験していない若い世代が、自主的に震災について学び、考え、自分の言葉で発信する活動が広がっていることです。
「人と防災未来センター」では、震災の記憶と教訓を次世代に継承するための様々なプログラムを実施しています。震災当時の映像や被災者の証言を保存し、防災教育の教材として活用することで、30年という時間の壁を超えた伝承を目指しています。
科学技術の進歩と防災の未来
2026年1月17日、防災関連学会が「大地震の教訓生かし、強靱な社会づくりに科学が貢献を」というテーマで会合を開きました。地震予知から地震予測へのパラダイムシフト、建築物の耐震基準の高度化、AIを活用した災害情報の分析など、科学技術は着実に進歩しています。
しかし、専門家たちは「技術の進歩だけでは不十分」だと口を揃えます。最先端の防災システムも、それを使う人々の防災意識と適切な避難行動があって初めて効果を発揮します。ハード面の整備とソフト面の充実、両輪が揃って初めて「防災立国」が実現するのです。
過疎化する被災地の復興という難題
奥能登の経済規模や過疎化の進行を考えると、阪神淡路大震災のような「全面復興」が適切であるかは疑問だという声もあります。1995年の神戸は大都市圏であり、人口も経済力も豊富でした。しかし、人口減少と高齢化が進む地方の被災地では、「新たな発想」による復興のあり方が求められています。
これは日本全体が直面する課題でもあります。将来の大地震リスクが指摘される首都直下地震や南海トラフ地震に対し、どのような事前準備と復興計画を立てるべきか。阪神淡路大震災と能登半島地震の経験を統合し、多様な地域特性に応じた防災・復興モデルを構築することが求められています。
30年目の誓い、忘れない・備える・伝える
「忘れない・備える・伝える」。これは兵庫県が掲げる震災継承の3つの柱です。1月17日の追悼式典に参加した遺族の一人は「あの日の記憶は決して風化させてはいけない。それが犠牲になった人々への最大の供養だ」と語りました。
私たちにできることは何でしょうか。まず、震災の記憶を学び、理解すること。次に、自分自身と家族の防災対策を見直すこと。そして、この経験と教訓を次の世代に伝えていくこと。30年という節目は、終わりではなく新たな始まりです。
阪神淡路大震災から30年。犠牲となった6,434人の方々の無念を無駄にしないために、私たち一人ひとりが「自分ごと」として防災に向き合う。その積み重ねこそが、真の「防災立国」への道なのです。
まとめ:教訓を未来へ
2026年1月17日、天皇陛下も出席された追悼式典は、単なる過去の振り返りではなく、未来への決意表明の場でもありました。震度階級の改革、緊急地震速報の導入、耐震基準の強化—これらはすべて、あの震災が教えてくれた教訓の結実です。
しかし、能登半島地震が示したように、まだ道半ばです。防災庁の設立、事前復興計画の普及、災害関連死の防止、過疎地の復興モデル構築—残された課題は少なくありません。30年という節目を迎えた今こそ、私たちは震災の教訓を真に「生きたもの」とする責任があります。
阪神淡路大震災の記憶は、被災地だけのものではありません。日本全体、そして世界の地震多発地域にとっての貴重な教訓です。30年前のあの日の悲しみを繰り返さないために、今日から私たちができることを始めましょう。それが、犠牲となった方々への最大の追悼となるはずです。
