「祖父が眠るモンゴルへ」天皇陛下初の慰霊訪問
「祖父がモンゴルで亡くなったと聞いて育ちました。天皇陛下が慰霊に行ってくださると知って、涙が止まりませんでした」
東京都在住の山田和子さん(73)は、2025年7月6日朝のニュースを見ながら、そう語った。祖父は終戦後、モンゴルに抑留され、極寒の地で命を落とした。遺骨も戻らず、家族は長年、祖父がどこでどのように亡くなったのかも分からなかった。
この日午前10時20分、天皇皇后両陛下は皇居を出発し、羽田空港からモンゴルへ向かわれた。歴代天皇として初めてとなるモンゴル訪問。戦後80年の節目に、ようやく実現した歴史的な旅だ。
■ 知られざる1万2000人の悲劇
シベリア抑留は広く知られているが、モンゴル抑留についてはほとんど知られていない。第二次世界大戦後、約1万2000人の日本兵がモンゴルに連行され、強制労働に従事させられた。マイナス30度を下回る極寒の中、満足な食事も防寒具もないまま、約1600人が命を落とした。
驚くべきことに、彼らが建設した建物は今もウランバートルの中心部に残っている。政府庁舎、オペラ劇場、外務省、国立中央図書館、モンゴル国立大学。皮肉にも、これらの建物は現在、両国友好の舞台となっている。
「素手で外に出ると50メートルも歩かないうちに凍傷になった」と、数少ない生還者の一人は生前語っていた。多くは20代の若者だった。故郷への思いを胸に、過酷な労働に耐え続けた末に倒れていった。
■ 最後の慰霊機会という切迫性
戦後80年が経ち、抑留経験者はほぼ全員が鬼籍に入った。その遺族も高齢化が進む。山田さんのような遺族にとって、天皇陛下の慰霊訪問は「最後の機会」かもしれない。
天皇陛下は出発前の記者会見で「心ならずも故郷から遠く離れた地で亡くなられた方々を慰霊し、そのご苦労に思いをいたしたい」と述べられた。戦後生まれの天皇として、忘れられつつある歴史と向き合う強い決意が感じられる。
■ なぜモンゴルは日本を信頼するのか
現在のモンゴルで、日本は「最も信頼できる国」として認識されている。世論調査では常に好感度1位。街を歩けば日本語の看板を見かけ、日本のアニメや音楽が人気だ。人口比でみると、世界で最も多くの留学生を日本に送っている国でもある。
この信頼関係の背景には、1990年の民主化以降、日本が最大の援助国としてモンゴルを支えてきた歴史がある。道路、橋、病院、学校。インフラ整備から人材育成まで、幅広い分野で協力してきた。
さらに重要なのは、日本がモンゴルを「第三の隣国」として尊重してきたことだ。中国とロシアという大国に挟まれたモンゴルにとって、日本は地理的に離れていても最も近い「隣国」なのだ。
■ 3年越しの熱い招請
フレルスフ大統領は2019年の天皇陛下即位礼正殿の儀に参列して以来、両陛下のモンゴル訪問を熱望してきた。2022年11月には大統領夫妻が国賓として来日し、重ねて招請の意向を示した。
「モンゴル国民全体が、天皇皇后両陛下の訪問を心待ちにしています」と、モンゴル外務省のバトツェツェグ報道官は語る。ウランバートル市内では道路の補修や清掃が行われ、日本語の案内板が設置された。まさに国を挙げての歓迎準備だ。
■ 8日間の濃密な日程に込められた思い
7月6日から13日までの訪問では、慰霊に加えて多彩なプログラムが組まれている。特に注目されるのは、日本の支援で設立された施設の訪問だ。
訪問施設 | 意義 |
---|---|
モンゴルコーセン技術カレッジ | 日本の高専制度を導入、技術者育成の拠点 |
モンゴル国立医科大学付属病院 | 日本の無償資金協力で建設、医療の中核 |
新モンゴル学園 | 日本式一貫教育を実施、親日派育成の場 |
水関連施設 | 天皇陛下のライフワーク「水」研究との関連 |
これらの施設は単なる建物ではない。日本とモンゴルの信頼関係を象徴する「生きた証」だ。そこで学ぶ若者たち、働く人々との交流を通じて、両国の絆はさらに深まるだろう。
■ 雅子さまの12年ぶりの挑戦
皇后雅子さまにとっては、2013年のオランダ訪問以来12年ぶりの外国公式訪問となる。体調を考慮しながらの訪問だが、「モンゴルの子どもたちとの交流を楽しみにされている」という。
新モンゴル学園では日本語で学ぶ子どもたちが、日本の歌を披露する予定だ。モンゴルコーセン技術カレッジでは、日本への留学を夢見る学生たちが待っている。教育分野での交流は、雅子さまが最も力を入れている分野でもある。
■ ナーダム祭が示す文化の懐の深さ
訪問のハイライトの一つが、モンゴル最大の祭典「ナーダム」だ。800年以上の歴史を持つこの祭りで、両陛下は弓射競技と競馬を観覧される。モンゴル相撲、弓射、競馬の3競技は、モンゴル人のアイデンティティそのものだ。
興味深いのは、日本の大相撲で活躍するモンゴル人力士たちの存在だ。白鵬、朝青龍、日馬富士、鶴竜など、多くの横綱を輩出してきた。彼らは両国の架け橋として、文化交流に大きく貢献している。
■ 水問題が結ぶ新たな協力
天皇陛下のライフワークである「水」の研究も、今回の訪問の重要なテーマだ。内陸国モンゴルは水資源が限られ、気候変動による砂漠化も深刻だ。首都ウランバートルでは、急速な都市化により水不足が慢性化している。
「水は人々の生活に不可欠。モンゴルの水事情を実際に見て、協力の可能性を探りたい」と陛下は語られた。研究者としての専門知識を、実践的な国際協力につなげる意欲がうかがえる。
■ 若い世代が担う未来
現在、日本で学ぶモンゴル人留学生は約3000人。一方、モンゴルで学ぶ日本人学生はわずか数十人。この不均衡は、日本人のモンゴルへの関心の低さを示している。
しかし、状況は変わりつつある。モンゴルの豊富な鉱物資源、特にレアアースへの注目が高まり、日本企業の進出も増えている。また、大自然やノマド文化に魅力を感じる若者も増えてきた。
天皇陛下は「両国の若い世代の交流がより活発になることを期待する」と述べられた。SNS世代の若者たちが、新たな日蒙関係を築いていくことが期待される。
■ 戦後80年の重み
2025年は戦後80年。戦争を知らない世代が大半を占める中、歴史の記憶をどう継承するかが問われている。モンゴル抑留という「忘れられた歴史」に光を当てる今回の訪問は、大きな意味を持つ。
山田さんは言う。「祖父の死は無駄ではなかったと思いたい。今の日本とモンゴルの友好関係を見れば、きっと祖父も喜んでいるはず」
悲劇的な過去を乗り越え、信頼関係を築いてきた両国。天皇陛下の訪問は、その歴史に新たな1ページを加えることになる。
■ 帰国後に期待される波及効果
8日間の訪問を終えた後、日本社会にどのような影響があるだろうか。まず、モンゴル抑留の歴史が広く知られることで、戦争の記憶の継承に貢献するだろう。また、モンゴルへの関心が高まり、観光や留学、ビジネスでの交流が活発化することも期待される。
宮内庁では訪問の記録を公開予定で、両陛下の感想も発表される見込みだ。特に若い世代に向けて、両国関係の重要性を伝えるメッセージが発信されることだろう。
戦後80年の節目に実現した歴史的訪問。それは過去を忘れず、未来を見据えた新しい皇室外交の形を示している。悲劇を乗り越えて築かれた友好関係は、次の80年に向けてさらに発展していくに違いない。