日本人ノーベル賞受賞の快挙!坂口志文氏が切り拓いた免疫学の新時代

2025年10月6日、スウェーデンのカロリンスカ研究所は、大阪大学免疫学フロンティア研究センター特任教授の坂口志文氏(74歳)に、ノーベル生理学・医学賞を授与すると発表しました。米システム生物学研究所のメアリー・E・ブランコウ博士(64歳)、米ソノマ・バイオセラピューティクスのフレデリック・ラムズデル博士(64歳)との共同受賞となり、日本人としては2年連続のノーベル賞受賞という偉業を成し遂げました。これは滋賀県出身者として、また大阪大学在籍中の研究者としては初のノーベル賞受賞となる歴史的快挙です。

授賞理由は「末梢性免疫寛容の発見」。坂口氏が発見した「制御性T細胞(Regulatory T cell、Treg)」という免疫細胞が、アレルギー、1型糖尿病などの自己免疫疾患、そしてがんといった病気の新たな治療法の開発に道を開いたことが高く評価されました。この発見は、免疫システムのバランス制御という生命現象の基本原理を解明し、医療に革命をもたらす画期的な業績とされています。

研究者・坂口志文の歩み:滋賀から世界へ

坂口志文氏は1951年1月19日、滋賀県に生まれました。滋賀県立高校を卒業後、1976年に京都大学医学部を卒業。1977年には同大学院医学研究科を中退して愛知県がんセンター研究所実験病理部門研究生となり、約3年間、当時の研究を原点として長年にわたる研究活動の基礎を築きました。1983年には京都大学より医学博士の学位を取得し、学位論文のテーマは「胸腺摘出によるマウス自己免疫性卵巣炎の細胞免疫学的研究」でした。

その後、坂口氏は研究の場を海外に移し、1983年にジョンズ・ホプキンス大学客員研究員、1987年にスタンフォード大学客員研究員、1989年にスクリプス研究所免疫学部助教授、1991年にカリフォルニア大学サンディエゴ校客員助教授などを歴任。米国での研究経験を通じて、世界最先端の免疫学研究に触れ、独自の研究アプローチを確立していきました。

1995年に帰国し、東京都老人総合研究所免疫病理部門部門長に就任。1999年には京都大学再生医科学研究所生体機能調節学分野教授となり、2007年には同研究所所長に就任しました。2010年から大阪大学免疫学フロンティア研究センター教授として活躍し、2013年に大阪大学特別教授、2017年には大阪大学栄誉教授に就任。現在も免疫学フロンティア研究センター特任教授として、最前線で研究を続けています。

40年の不遇を乗り越えた研究者の執念

坂口氏の研究の始まりは、京都大学在学中に遡ります。胸腺という臓器を取り除いたマウスが自己免疫疾患に似た症状を起こすという研究報告を読んで興味を持ち、「免疫細胞の一種であるT細胞の中には、免疫の暴走を抑えるタイプが存在する」との仮説を立てました。これは当時の免疫学の常識を覆す大胆な仮説でした。

1985年、坂口氏は最初の実験結果を発表しましたが、当時の免疫学の常識を覆す内容だったため、多くの研究者から理解されず、不遇の時代が続きました。「免疫には攻撃を抑える細胞がある」という考えは、当時の免疫学界では異端視されていたのです。それでも諦めることなく研究を続け、1995年に攻撃を抑える特異なリンパ球「制御性T細胞(Treg)」の目印となる分子CD25を見つけて論文に発表。この発見により、ようやく学界で認められるようになりました。

2001年には、ブランコウ博士とラムズデル博士がScurfyマウスおよびヒトIPEX(immune dysregulation, polyendocrinopathy, enteropathy, X-linked)症候群患者に発症する致死的な自己免疫疾患の原因遺伝子として「Foxp3」を発見。2003年、坂口氏らはFoxp3がTreg細胞に選択的に発現し、その発生・分化と免疫抑制機能をつかさどる「マスター転写因子」として働くことを明らかにしました。この発見により、免疫制御の分子メカニズムが完全に解明されました。約40年にわたる執念の研究が、ついに結実した瞬間でした。

制御性T細胞とは?免疫の「ブレーキ役」の正体

制御性T細胞(Treg)は、免疫応答を抑制し、過剰な炎症や自己免疫反応を防ぐ重要な細胞です。健常人の末梢血にあるCD4+T細胞のうち、概ね5%程度含まれており、自己免疫疾患の発症を防ぐために自己に対する免疫応答を抑制する役割を持っています。

私たちの体には、細菌やウイルスなどの外敵を攻撃する免疫システムがあります。しかし、この免疫システムが暴走すると、自分自身の細胞や組織を攻撃してしまう「自己免疫疾患」を引き起こします。制御性T細胞は、まさにこの免疫システムの「ブレーキ役」として機能し、免疫のバランスを保つ守護神のような存在なのです。

坂口氏の発見により、「免疫には攻撃する細胞だけでなく、攻撃を止める細胞も存在する」という免疫学の新しいパラダイムが確立されました。これは、免疫学の教科書を書き換える革命的な発見でした。

制御性T細胞の詳細メカニズム

制御性T細胞は、複数のメカニズムによって免疫応答を制御しています。主なメカニズムには以下のものがあります:

  • 抑制性サイトカインの分泌:IL-10、TGF-β、IL-35などの抑制性サイトカインを分泌し、他の免疫細胞の活動を抑制
  • CTLA-4を介する制御:抗原提示細胞(APC)の活動を制御し、T細胞の活性化を抑制
  • IL-2の奪取:他のT細胞の増殖に必要なIL-2を消費することで、過剰な免疫応答を抑制
  • 直接的な細胞間相互作用:エフェクターT細胞と直接接触し、その活動を抑制

これらのメカニズムが協調的に働くことで、制御性T細胞は免疫システムの精密なバランスを維持しているのです。

医療革命への期待:がん治療と自己免疫疾患への応用

自己免疫疾患への応用

制御性T細胞の働きを操作すれば、ぜんそくなどの免疫が関わる病気を治療できると期待されています。臨床試験では、骨髄移植に際して制御性T細胞を入れることで移植片対宿主反応を抑えることができたほか、子供のⅠ型糖尿病に対して制御性T細胞を体外で増やして戻す試みも進んでいます。

Treg細胞療法は、患者さん由来の制御性T細胞を生体外で増殖させ、体内に戻して免疫機能のバランスを正常化させる、自己免疫疾患領域で注目される免疫治療のアプローチです。関節リウマチ、多発性硬化症、クローン病など、これまで完治が難しかった多くの自己免疫疾患の治療に新たな希望をもたらしています。

特に注目されているのは、IPEX症候群のようなFoxp3遺伝子変異による重篤な自己免疫疾患への治療法開発です。Foxp3遺伝子の機能を回復させることで、これまで治療法のなかった難病に対する根本的な治療が可能になると期待されています。

がん治療への逆転の発想

興味深いことに、がん治療では逆のアプローチが取られています。悪性黒色腫や肺がんなどの多くのがん微小環境では、活性化して免疫抑制機能が強くなった制御性T細胞が、CD4+T細胞の20から50%に増加していることが明らかになっています。

がん組織に集まった制御性T細胞が、がんに対する免疫応答を低下させることで、がんが免疫系からの攻撃を回避する役割を持っているのです。がん細胞は、制御性T細胞を巧みに利用して、免疫システムから逃れているのです。そこで、がんの治療では、がん組織に集まった制御性T細胞を取り除いたり、働きを抑えたりして、他の免疫細胞にがんを攻撃させやすくする方法の研究が進んでいます。

免疫チェックポイント阻害剤に加えて、制御性T細胞を除去することや、これらの細胞の免疫抑制作用を弱めるような薬剤を併用投与することで、がん免疫療法の治療効果を高めることができるかを検証する臨床試験が既に行われています。この「免疫のブレーキを外す」アプローチは、従来のがん治療とは全く異なる新しい戦略として、世界中の研究者から注目されています。

iPS細胞との融合で実現する未来の医療

臓器移植をした患者の免疫抑制やがん、アレルギー治療への応用も期待されており、医療現場での使いやすさを念頭にヒトiPS細胞(人工多能性幹細胞)から効率的に制御性T細胞を作製する技術の開発も進んでいます。この技術が確立されれば、患者ごとに必要な数の制御性T細胞を、安全かつ効率的に製造できるようになります。

中外製薬と大阪大学免疫学フロンティア研究センターの共同研究チームは、制御性T細胞を「つくる・増やす」細胞療法の可能性に挑んでおり、患者ごとにカスタマイズされたオーダーメイド医療の実現に向けて研究が加速しています。これは、再生医療と免疫療法を融合させた最先端の医療技術であり、日本が世界に先駆けて実現を目指しています。

また、坂口氏が設立したバイオベンチャー企業「レグセル」は、2026年から米国で制御性T細胞を用いた初の治験を開始する予定です。日本発の研究が、米国で事業化されるという状況は、日本のバイオベンチャー支援体制の課題を浮き彫りにしていますが、同時に日本の基礎研究の高さを世界に示す好例でもあります。

受賞の舞台裏:山奥でキャンプ中の博士と電話が繋がらない10時間

今回の受賞には、興味深いエピソードがあります。共同受賞者のラムズデル博士は、発表当時、山奥でキャンプをしていて携帯電話が圏外だったため、ノーベル委員会や所属するバイオ会社も10時間以上連絡が取れませんでした。自然の中でハイキングを楽しんでいた博士が、下山してようやく世界を変える知らせを受け取ったという、まさにノーベル賞ならではのドラマチックなエピソードです。

一方、坂口氏は記者会見で、「多くの研究者が疑問を持ちながらも研究を続けてくれた。その積み重ねが今日の受賞につながった」と謙虚に語り、研究者としての真摯な姿勢を見せました。また、「不遇の時代もありましたが、信じて研究を続けることの大切さを若い研究者に伝えたい」とも述べ、次世代への激励のメッセージを送りました。

日本の免疫学研究の系譜と世界への貢献

日本は免疫学研究において世界をリードしてきた歴史があります。2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑氏の免疫チェックポイント阻害剤「オプジーボ」の開発も記憶に新しいところです。本庶氏の研究と坂口氏の研究は、どちらも「免疫のブレーキ」に関するものであり、日本の免疫学研究の一貫した強さを示しています。

坂口氏の受賞により、日本の免疫学研究は免疫分野で複数のノーベル賞を獲得したことになり、この分野における日本の圧倒的な強さを世界に示しました。免疫学という日本が得意とする分野で、基礎研究から臨床応用まで一貫した研究体制が確立されていることの証明です。

カロリンスカ研究所は授賞理由の中で、「免疫システムが自己と非自己を区別し、自己に対する攻撃を抑制する仕組みの解明は、現代医学における最も重要な発見の一つである」と述べており、坂口氏らの研究が人類の健康に与える影響の大きさを強調しました。また、「この発見により、数百万人の患者さんが恩恵を受ける可能性がある」とも述べ、医療への貢献を高く評価しました。

賞金1億7000万円の使い道と今後の展望

授賞式は12月10日にストックホルムで開催され、賞金は1100万スウェーデンクローナ(約1億7000万円)で、受賞する3人で分け合います。坂口氏は会見で、「賞金は若手研究者の育成と、制御性T細胞研究のさらなる発展のために使いたい」と語り、次世代への投資を約束しました。

日本の免疫学研究は、坂口氏の受賞を契機に、さらなる発展が期待されています。若手研究者たちは、「40年の不遇を乗り越えて栄光を掴んだ」坂口氏の姿に勇気づけられ、基礎研究の重要性を再認識することでしょう。坂口氏は「すぐに成果が出なくても、真理を追究する姿勢を大切にしてほしい」と若手研究者に語りかけ、長期的視野での研究の重要性を強調しました。

未来の医療を変える制御性T細胞研究の可能性

制御性T細胞の研究は、今後も医療の様々な分野で革新をもたらすと期待されています。現在進行中の主な研究領域には以下のようなものがあります:

  • アレルギー治療:花粉症や食物アレルギーなど、過剰な免疫反応を制御性T細胞で抑制する治療法。スギ花粉症に対する制御性T細胞療法の臨床試験も開始されています。
  • 臓器移植:拒絶反応を抑えるための制御性T細胞療法により、免疫抑制剤の使用量を減らし、副作用を軽減することが期待されています。
  • 炎症性腸疾患:クローン病や潰瘍性大腸炎などの難治性疾患への応用。腸管免疫の制御により、症状の改善が期待されます。
  • 神経変性疾患:アルツハイマー病などの脳内炎症を制御性T細胞で抑制する可能性。脳内の炎症が神経変性に関与していることが明らかになっており、新たな治療アプローチとして注目されています。
  • 妊娠維持:母体が胎児を異物として攻撃しないメカニズムの解明と不妊治療への応用。制御性T細胞が妊娠維持に重要な役割を果たしていることが判明しています。
  • 心血管疾患:動脈硬化などの炎症性心血管疾患における制御性T細胞の役割の解明と治療への応用。

これらの研究が実を結べば、数億人の患者さんの生活の質を改善し、医療費の削減にもつながると期待されています。特に、高齢化社会における慢性炎症性疾患の治療において、制御性T細胞療法は重要な役割を果たすと考えられています。

世界が注目する日本の基礎研究力

今回の受賞は、日本の基礎研究力の高さを世界に示すとともに、長期的な視点での研究支援の重要性を改めて浮き彫りにしました。坂口氏の研究が評価されるまでに40年を要したという事実は、「すぐに成果が出る研究」だけでなく、「時間をかけて真理を追究する研究」への支援の必要性を示唆しています。

日本政府や研究機関は、この受賞を契機に、基礎研究への投資を強化し、若手研究者が安心して長期的な研究に取り組める環境を整備することが求められています。特に、バイオベンチャー支援体制の強化により、日本発の研究成果を日本国内で事業化できる環境づくりが急務となっています。

坂口氏は、「日本の研究環境は非常に恵まれているが、さらに若手研究者が自由に研究できる環境を整えることが重要」と述べ、研究支援体制の改善を訴えました。

まとめ:免疫学の新時代を切り拓いた日本人研究者の偉業

坂口志文氏のノーベル賞受賞は、日本の免疫学研究の素晴らしさを世界に示すとともに、「諦めずに研究を続ければ、いつか真実が認められる」という研究者にとっての希望の光となりました。制御性T細胞の発見は、自己免疫疾患からがん治療まで、幅広い医療分野に革命をもたらす可能性を秘めています。

40年の不遇の時代を経て、ついに栄光を掴んだ坂口氏の研究人生は、多くの人々に感動と勇気を与えています。今後、制御性T細胞研究がどのような医療革新をもたらすのか、世界中が注目しています。日本発の研究が、人類の健康と幸福に大きく貢献する日は、そう遠くないかもしれません。

坂口氏の受賞は、日本の科学技術立国としての地位を再確認させるものであり、次世代の研究者たちに大きな希望と勇気を与えています。免疫学の新時代を切り拓いた坂口志文氏の偉業は、これからも医学の発展に大きく貢献し続けることでしょう。

投稿者 hana

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