日産自動車が横浜本社ビルを970億円で売却――経営再建への苦渋の決断
2025年11月6日、日産自動車が横浜市のグローバル本社ビルを970億円で売却すると正式発表しました。売却先は台湾系大手自動車部品メーカーの敏実集団(ミンス・グループ)などが出資する特別目的会社(SPC)で、米投資ファンドKKR傘下のKJRマネジメントが運用を担います。日産は20年間のリースバック契約により、引き続き本社として活用することを明らかにしています。この売却により、日産は今期(2026年3月期)に固定資産売却益約739億円を特別利益として計上する見込みです。
この決断は、日産が直面している深刻な経営危機を象徴するものです。日産は2026年3月期の営業損益が2750億円の赤字に転落する見通しで、営業損益が赤字になるのは2021年3月期以来5年ぶりとなります。トランプ米政権による自動車関税の影響が2750億円分含まれるほか、主力の米国市場での販売不振が重くのしかかっています。売上高も従来予想の12兆5000億円から11兆7000億円へ下方修正され、厳しい状況が続いています。
日産の経営危機――「Re:Nissan」が示す厳しい現実
日産は2025年5月13日、「Re:Nissan」と題した経営再建計画を発表しました。この計画には、国内外7工場の閉鎖と連結従業員15%にあたる2万人の人員削減という大規模なリストラが含まれています。人員削減の内訳は、生産部門が1万3000人、販売管理部門が3600人、契約社員を中心とする研究開発部門が3400人で、2027年度までに段階的に実施される予定です。
工場については、世界17カ所にある完成車工場を10カ所に統廃合し、生産能力を2024年度比100万台減の250万台に引き下げます。中国を除く工場稼働率を現在の70%から100%に引き上げる方針で、合計5000億円のコスト削減を図ります。国内工場も閉鎖の対象に含まれるため、日産の城下町とされる地域では大きな不安が広がっています。
2025年3月期の連結決算では、最終利益が6708億円の赤字(前期は4266億円の黒字)となり、本業のもうけを示す営業利益も前期比87.7%減の698億円に激減しました。この赤字規模は日産の歴史において過去3番目の大きさで、経営危機の深刻さを物語っています。
横浜本社ビル売却の詳細――KKRと台湾系企業の連携
横浜本社ビルの売却先は、MJI合同会社(東京・中央)という特別目的会社です。この会社には、米投資ファンドKKR系とみずほ不動産投資顧問が組成した私募ファンドに、台湾系の自動車部品メーカーである敏実集団(ミンスグループ)が主に出資しています。KKR傘下の不動産資産運用会社であるKJRマネジメント(KJRM)がSPCの運用を担当します。
契約は2025年12月12日に結ばれる予定で、20年間のリースバック契約により、日産は引き続きこのビルを本社として使用します。この取り決めにより、業務への支障は最小限に抑えられる見込みです。売却で得られる970億円の資金は、経営再建計画の完遂に向けた設備投資や業務改革、そして電動化への投資に充てられる予定です。
横浜市のグローバル本社ビルは、日産が2009年8月に完成させた象徴的な施設です。日産は長年、東京・銀座に本社を構えていましたが、創業の地である横浜に本社を戻すことで、新たな時代の幕開けを印象づけました。それから16年後の今、このビルを手放すことは、日産にとって感慨深い決断であると同時に、経営再建のために不可欠な措置でもあります。
地域への影響と横浜市の反応
横浜市の山中竹春市長は、日産の本社ビル売却について「経営再建に向けた取組の一環と受け止めている」とコメントしました。さらに「日産自動車には、横浜を代表するグローバル企業として、今後も横浜経済をけん引していただくことを期待している」と述べ、日産が引き続き横浜を拠点とすることへの期待を示しています。
神奈川県の黒岩祐治知事も日産のエスピノーサ社長から直接電話を受け、「移転はない」との説明にほっとしたと述べています。エスピノーサ社長は「今は現金が必要だ」と率直に説明したとされ、日産の財務状況の厳しさが伺えます。
日産の株価は、11月6日の取引で反発しました。売却発表前の報道を受けて、一時前日比3.9%高の356.1円と、10月22日以来の日中上昇率を記録しました。投資家は、日産が資産売却により財務改善を進めることを好意的に受け止めたとみられます。
日産が直面する構造的課題――「台数頼み」からの脱却
日産の経営危機の背景には、長年続いた「台数頼み」の経営があります。カルロス・ゴーン時代から続いてきたこの戦略は、販売台数の拡大を最優先し、市場シェアの獲得に注力するものでした。しかし、この戦略は利益率の低下を招き、財務体質の悪化につながりました。
特に、主力市場である米国での販売不振が深刻です。米国市場では、日産車の販売台数が減少しており、ブランド力の低下が指摘されています。トランプ政権による自動車関税の影響も重なり、日産の米国事業は厳しい状況に置かれています。2026年3月期の営業損益に与える関税影響は2750億円と見積もられており、日産の財務を圧迫する大きな要因となっています。
また、電動化への対応の遅れも課題です。世界的に電気自動車(EV)へのシフトが加速する中、日産は電動化投資を十分に進められていませんでした。リーフなどの先行モデルで一時はEV市場をリードしていましたが、近年はテスラや中国のBYDなどに市場シェアを奪われています。本社ビル売却で得た資金を電動化投資に充てることで、この遅れを取り戻そうとしています。
リストラが地域経済に与える影響――日産城下町の不安
日産の大規模なリストラは、日産の城下町とされる地域に大きな影響を与えます。2万人の人員削減は、従業員本人だけでなく、その家族や地域経済にも波及します。日産の工場がある地域では、関連する下請け企業や商業施設も日産従業員の消費に依存しているため、リストラによる経済的影響は甚大です。
実際、日産の経営不振は取引先企業にも波及しています。日産は取引先の絞り込みを進めており、一部の部品メーカーは受注減少に直面しています。「入社したばかりなのに」という若手従業員の声も聞かれ、将来への不安が広がっています。
一方で、日産の構造改革には前向きな見方もあります。東洋経済オンラインの分析によれば、「7工場2万人削減計画」は、日産がようやく示した「あるべき構造改革プラン」であり、「台数頼み」の経営と決別するための必要な措置だとされています。この改革が成功すれば、日産は持続可能な成長軌道に戻ることができるとの期待もあります。
日産の歴史と再建への道――過去の危機を乗り越えた経験
日産は過去にも深刻な経営危機に直面し、それを乗り越えてきた経験があります。1999年、日産はカルロス・ゴーン氏を最高執行責任者(COO)として迎え入れ、「日産リバイバルプラン」を実施しました。このプランには、5工場の閉鎖と2万1000人の人員削減が含まれ、当時としては大規模なリストラでした。しかし、この改革により日産は経営を立て直し、V字回復を実現しました。
今回の「Re:Nissan」計画も、過去の「日産リバイバルプラン」を彷彿とさせるものです。しかし、当時と現在では市場環境が大きく異なります。自動車業界は「100年に一度の大変革期」と言われ、電動化、自動運転、コネクテッドカーなど、新しい技術への対応が求められています。日産がこの変革期を乗り越えるためには、単なるコスト削減にとどまらず、技術革新と新しいビジネスモデルの構築が不可欠です。
日産の内田誠社長は、2025年10月に「我々は今、非常に厳しい状況にある」と認めつつも、「構造改革を通じて、より強靭な日産を作り上げる」と決意を表明しました。本社ビル売却は、その決意を具体化した一つの象徴と言えるでしょう。
競合他社との比較――トヨタとホンダの戦略
日産の苦境は、日本の自動車業界全体が直面する課題を浮き彫りにしています。しかし、同じ日本の自動車メーカーでも、トヨタやホンダは比較的好調な業績を維持しています。トヨタは電動化とハイブリッド技術のバランスを取りながら、世界市場でのシェアを拡大しています。ホンダも電動化への投資を加速し、2040年までに全ての新車をEVまたは燃料電池車にするという野心的な目標を掲げています。
日産とトヨタ・ホンダの違いは、財務体質と技術開発への投資力にあります。トヨタは豊富な内部留保を持ち、研究開発に潤沢な資金を投入できます。ホンダも同様に、堅実な経営により財務基盤を強化してきました。一方、日産は過去の販売台数重視の戦略により、利益率が低下し、財務体質が弱体化しました。
日産が競合他社に追いつくためには、本社ビル売却で得た資金を効果的に活用し、電動化技術の開発を加速する必要があります。また、ブランド力の再構築も重要な課題です。日産のブランドイメージを回復し、消費者に選ばれる魅力的な車を提供することが、長期的な成長への鍵となります。
今後の展望――日産は「リバイバル」を再現できるか
日産が再び「リバイバル」を実現できるかどうかは、今後数年の取り組みにかかっています。本社ビル売却により得た739億円の特別利益は、短期的な財務改善に貢献しますが、これだけで経営危機を脱することはできません。日産には、構造改革を確実に実行し、新しい成長戦略を打ち出すことが求められています。
日産の強みは、長年培ってきた技術力とグローバルなネットワークです。特に、電動化技術においては、リーフの開発で得た経験があります。この強みを活かし、次世代の電気自動車を開発することで、市場での競争力を取り戻すことが可能です。また、ルノーとの提携関係を再構築し、技術やプラットフォームの共有を進めることも重要です。
国内工場の閉鎖については、地域との調整が課題となります。時事通信によれば、「日産、『リバイバル』再現なるか 国内工場閉鎖、反発は必至」との見方もあり、地域社会との対話を丁寧に進めることが必要です。従業員や地域住民の理解を得ながら、構造改革を進めることが、長期的な信頼回復につながります。
日産の経営再建は、日本の自動車業界全体にとっても重要な意味を持ちます。日産が成功すれば、他の自動車メーカーにとっても参考になる事例となります。逆に、失敗すれば、日本の自動車業界全体の国際競争力が低下するリスクがあります。日産の挑戦は、日本の製造業の未来を占う試金石と言えるでしょう。
まとめ――日産の決断が示す自動車業界の転換点
日産自動車の横浜本社ビル970億円売却は、単なる資産売却以上の意味を持ちます。これは、日産が経営危機を真剣に受け止め、構造改革に本気で取り組む決意を示すものです。2万人の人員削減、7工場の閉鎖、そして本社ビルの売却という一連の措置は、日産にとって苦渋の決断でしたが、生き残りをかけた必然の選択でもありました。
自動車業界は今、「100年に一度の大変革期」を迎えています。電動化、自動運転、コネクテッドカーといった新技術が台頭し、従来のビジネスモデルが通用しなくなっています。日産の経営危機は、この変革期に適応できなかった企業の象徴とも言えます。しかし、日産には過去に危機を乗り越えた実績があり、再び立ち上がるポテンシャルを秘めています。
本社ビル売却で得た資金をどのように活用するかが、日産の未来を左右します。電動化への投資、ブランド力の再構築、そして従業員と地域社会との信頼関係の構築――これらすべてに取り組むことで、日産は再び競争力のある企業へと生まれ変わることができるでしょう。日産の挑戦は、日本の自動車業界、そして日本の製造業全体にとって、重要な転換点となる可能性を秘めています。今後の日産の動向から、目が離せません。
日産の本社ビル売却は、単なる財務改善策にとどまらず、経営陣の強い危機意識と改革への決意を示すものです。この決断により、日産は短期的な資金を確保しながら、長期的な成長への道筋を描こうとしています。
