なぜ山上被告に同情する声が?安倍元首相銃撃3年、初公判で問われる「正義」の意味

あなたは、山上徹也被告をどう思いますか?

2025年7月8日。安倍晋三元首相が凶弾に倒れてから、ちょうど3年が経過した。実行犯の山上被告(44)の初公判が10月28日に決定し、ついに法廷で真実が語られることになる。しかし、この3年間で浮かび上がったのは、単純な「加害者と被害者」の構図では語れない、日本社会の深い闇だった。

なぜ、暴力を決して肯定してはいけないと分かっていながら、山上被告に同情する声がSNS上で絶えないのか。なぜ、旧統一教会問題は長年放置されてきたのか。そして、私たちはこの事件から何を学ぶべきなのか。

「英雄視」と「犯罪者」の間で揺れる世論

事件直後、ある現象が起きた。山上被告の減刑を求める署名活動がネット上で始まり、寄付金が集まり、「よくやった」という声さえ上がった。もちろん、これらは少数派である。しかし、無視できない規模で存在したことも事実だ。

40代男性会社員のAさんは匿名を条件にこう語る。「暴力は絶対にダメだと頭では分かっている。でも、母親を宗教に奪われ、家族を壊された彼の気持ちを思うと…。もし自分が同じ立場だったらと考えてしまう」

一方、安倍元首相の支持者だった60代女性のBさんは憤る。「どんな理由があろうと、人を殺していい理由にはならない。同情する人たちは、民主主義を否定しているのと同じだ」

3年間の異例の長期勾留が意味するもの

通常なら1年以内に始まる初公判が、なぜ3年もかかったのか。表向きは「争点整理の複雑さ」「精神鑑定の必要性」とされているが、関係者の間では別の見方もある。

ある司法関係者は「これほど社会を二分する事件は戦後初めて。裁判員の選定も含め、慎重にならざるを得なかった」と明かす。実際、7回にわたる公判前整理手続きでは、旧統一教会問題をどこまで扱うかで激しい議論があったという。

注目の争点 – 「情状酌量」はどこまで認められるか

検察側の主張(予想) 弁護側の主張(予想)
計画的で極めて悪質な犯行 追い詰められた末の衝動的行為
民主主義への挑戦 社会から見捨てられた被害者
手製銃の高い殺傷能力 精神的に追い詰められた状態
社会への影響の重大性 宗教被害の深刻さ

旧統一教会問題 – なぜ今まで放置されてきたのか

事件が暴いた最大の問題は、旧統一教会と政治の癒着だった。しかし、霊感商法や高額献金の被害は1980年代から報告されていた。なぜ40年以上も実効的な対策が取られなかったのか。

元文部科学省幹部は「宗教法人への介入は信教の自由との兼ね合いで極めて難しい。政治的な配慮もあった」と証言する。実際、歴代政権は教団問題に及び腰だった。それが変わったのは、まさに今回の事件がきっかけだった。

急転直下の解散命令請求

2023年10月、ついに政府は重い腰を上げた。文科省が東京地裁に旧統一教会の解散命令を請求。オウム真理教以来、2例目の異例の措置だった。しかし、これも「遅すぎた」との批判は根強い。

被害者支援に携わる弁護士は語る。「山上被告の事件がなければ、今も何も変わっていなかったかもしれない。それを思うと複雑な気持ちになる」

宗教2世たちの叫び – 「私たちも山上被告になっていたかも」

事件後、最も注目を集めたのが「宗教2世」の存在だった。親の信仰により、自由を奪われ、時に虐待まがいの扱いを受けてきた彼らの多くが、山上被告に自分を重ねた。

旧統一教会の元2世信者(30代女性)は語る。「彼の気持ちは痛いほど分かる。私も何度も親を恨んだ。でも、暴力では何も解決しない。だからこそ、この事件をきっかけに社会が変わることを願っている」

新法成立も課題は山積

事件を受けて「霊感商法対策法」「寄附勧誘防止法」が相次いで成立した。しかし、現場からは「まだ不十分」との声が上がる。

  • 子どもの保護が不十分 – 親の信仰の自由と子どもの人権のバランス
  • 被害認定の困難さ – 「自発的な献金」との線引き
  • 既存被害者の救済 – 過去の被害への対応策の欠如

政治への影響 – 失われた「親密さ」

事件は日本の政治風景も一変させた。最も顕著なのが、要人警護の厳格化だ。かつての「握手できる距離」での街頭演説は過去のものとなった。

ベテラン政治記者は嘆く。「政治家と市民の距離がさらに広がった。民主主義にとって本当に良いことなのか」

一方で、政治と宗教団体の関係は透明化が進んだ。各党が相次いでガイドラインを策定し、献金や選挙協力の実態が明らかになりつつある。

社会の分断 – 「正義」とは何か

この3年間で最も深刻化したのが、社会の分断だ。山上被告への評価を巡り、国民の意見は真っ二つに割れている。

世代間の認識ギャップ

興味深いのは、世代によって見方が大きく異なることだ。

世代 主な反応 背景
20-30代 同情的な声が比較的多い 格差社会への不満、既得権益への反発
40-50代 意見が分かれる 子育て世代として宗教2世問題に関心
60代以上 批判的な声が多数 法秩序重視、安倍政権への評価

この分断は、単に事件への評価だけでなく、日本社会が抱える構造的な問題 – 格差、既得権益、自己責任論 – への見方の違いを反映している。

10月28日の初公判が持つ意味

いよいよ始まる裁判員裁判。一般市民が、この歴史的事件の審理に参加する。彼らに課せられた責任は重い。

予想される判決は「懲役20年以上の実刑」。しかし、真の焦点は量刑ではない。この裁判を通じて、私たちの社会が「正義」「公正」「共生」についてどう考えるかが問われている。

山上被告は法廷で何を語るのか

3年間沈黙を守ってきた山上被告。初公判での被告人質問で、彼は何を語るのか。単なる恨みつらみか、それとも社会への問題提起か。その言葉は、日本社会にさらなる波紋を投げかけることになるだろう。

私たちは何を学ぶべきか

安倍元首相銃撃事件から3年。この悲劇から、私たちは何を学んだのか。

  1. 暴力では何も解決しない – どんな理由があろうと、暴力による解決は新たな悲劇を生むだけ
  2. 社会の声なき声に耳を傾ける – 宗教2世、貧困層、社会的弱者の存在を無視してはいけない
  3. 透明性と説明責任の重要性 – 政治と宗教、権力と金の関係は常に監視が必要
  4. 分断ではなく対話を – 意見の違いを認め合い、建設的な議論を重ねること

終わりに – 3年目の7月8日に思う

今日、奈良の事件現場には多くの人が花を手向けに訪れた。安倍元首相を悼む人、事件の意味を考える人、様々な思いが交錯する。

ある高校生は言った。「僕らの世代は、この事件を教科書で学ぶことになる。でも、本当に大切なのは、なぜこんなことが起きたのか、どうすれば防げたのかを考えることだと思う」

山上被告の初公判まであと3ヶ月。この間に、私たち一人一人が、この事件と向き合い、より良い社会を作るために何ができるかを考える必要がある。

暴力を否定しつつ、社会の矛盾に目を向ける。法の支配を守りつつ、弱者の声に耳を傾ける。それが、この悲劇を繰り返さないための、唯一の道ではないだろうか。

あなたは、この事件から何を学びましたか?そして、これからの日本社会に何を望みますか?

投稿者 hana

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