深夜のコンビニで起きた緊迫の20分間
「どうして電話するんだ!」——深夜のコンビニで、70代の男性が怒鳴り声を上げていました。2025年9月10日午後10時頃、新潟市内のファミリーマート八千代二丁目店。レジに立っていたのは、来日4年のネパール人留学生、アレ・マガル・イシャラさん(26歳)とカトリ・カルナ・バハドウールさん(25歳)でした。
「正直、怖かったです」と後に振り返るアレさん。しかし、この時2人は、店長から教わった「5万円以上のカード購入は必ず店長に確認する」というルールを守り抜くことを決めていました。怒鳴り声に耐えながら、男性を引き留めること約20分。この勇気ある判断が、30万円の詐欺被害を未然に防ぐことになったのです。
異変に気づいた瞬間
事の発端は、その日の午後10時頃でした。70代の男性客が、次々とアップルギフトカードを購入していたのです。最初に1万円分を3枚購入し、その直後、さらに約30万円分のカードを買おうとしていました。
深夜のコンビニでは、電子マネーカードの購入自体は珍しいことではありません。しかし、高齢の男性が焦った様子で高額なカードを連続購入しようとしている——これは明らかに異常な状況でした。
アレさんは、店長の佐藤有樹さん(39歳)から繰り返し教わっていた重要なルールを思い出しました。「5万円分以上のカード購入があった場合は、必ず店長に確認する」。日本の特殊詐欺について詳しい知識はなかった2人でしたが、このルールだけは忠実に守ろうと決めていたのです。
言葉の壁を超えた連携
アレさんは、すぐにカトリさんにネパール語で「店長に電話して」と伝えました。そして男性客には、できるだけ丁寧な日本語で「確認が必要なので、少々お待ちください」と告げたのです。
しかし、男性は急いでいる様子でした。「早くしてくれ」「どうして待たなければならないんだ」と、次第にいらだちを募らせていきます。そして、ついに怒鳴り声を上げ始めたのです。
「どうして電話するんだ!」——大きな声で怒鳴られ、2人は恐怖を感じました。日本語が母国語ではない彼らにとって、怒っている日本人の高齢者に対応することは、想像以上にプレッシャーのかかることでした。
それでも、2人は冷静さを保ちました。「申し訳ございません」「もう少しお待ちください」と繰り返しながら、男性をなだめ続けたのです。店長が到着するまで、約20分間。この時間が、どれほど長く感じられたことでしょう。
明らかになった詐欺の手口
駆けつけた佐藤店長が男性に丁寧に事情を聞くと、衝撃的な事実が判明しました。男性はNTTを名乗る人物から電話を受けており、「携帯電話代金の未納があります。今日中に支払わないと裁判になります」と告げられていたのです。
これは典型的な「架空請求詐欺」でした。相手は「今すぐアップルギフトカードを購入して、カード番号を教えてください」と指示していました。焦った男性は、言われるがままにカードを購入し始めていたのです。
もし2人の留学生が行動を起こさなければ、男性は30万円以上の被害に遭っていたことでしょう。実際、男性はすでに3万円分のカードを購入してしまっていましたが、大部分の被害は防ぐことができたのです。
全国で増加する電子マネー詐欺の実態
近年、電子マネーカードを使った特殊詐欺が急増しています。詐欺師は様々な口実を使って被害者を焦らせ、冷静な判断力を奪います。主な手口には以下のようなものがあります:
- 架空請求詐欺:「未納料金がある」「裁判になる」と脅して支払いを要求
- サポート詐欺:「パソコンがウイルスに感染した」と偽り、修理代金を要求
- なりすまし詐欺:公的機関や有名企業を装って連絡してくる
- 還付金詐欺:「税金の還付がある」と言ってATM操作を指示
電子マネーカードは匿名性が高く、一度カード番号を教えてしまうと、お金を取り戻すことはほぼ不可能です。このため、詐欺師にとって都合の良いツールとなっているのです。
岐阜県警では2016年12月から「電子マネー通報制度」を導入し、合計10万円以上の電子マネーカードを購入しようとしている客がいた場合、コンビニ店員が警察に通報する仕組みを設けています。全国的にも、コンビニ各社と警察が連携した防止策が広がっています。
新潟県警から感謝状を授与
この勇気ある行動により、アレさんとカトリさんは新潟警察署から感謝状を受け取りました。表彰式で、2人は「みんな苦労して稼いだお金を無駄にしなくて良かった」と話しました。
佐藤店長は「ルールを守ってくれて本当に感謝している。怒鳴られても動じずに対応してくれた2人の判断がなければ、大きな被害が出ていた」と語っています。
来日4年、日本の特殊詐欺についての知識はほとんどなかった2人。それでも、店長から教わった基本的なルールを忠実に守り、困難な状況でも冷静に対応した姿勢が、高く評価されたのです。
外国人労働者が支える地域の安全
この事例は、日本で働く外国人労働者が地域社会にいかに貢献しているかを示す素晴らしい例です。コンビニエンスストアは24時間営業で地域の安全を守る重要な拠点となっており、そこで働く外国人スタッフの存在は欠かせません。
総務省の統計によると、2025年現在、日本のコンビニエンスストアで働く外国人労働者は全従業員の約8%を占めています。特に都市部や深夜帯では、その割合はさらに高くなります。
彼らは単に労働力を提供しているだけではありません。地域社会の一員として、防犯活動や地域貢献に積極的に参加しています。このような多様性こそが、社会をより強く、より安全にする力となっているのです。
コンビニが詐欺防止の最前線に
コンビニエンスストアは、特殊詐欺の最前線に立つ存在となっています。電子マネーカードの多くがコンビニで販売されているため、店員の気づきと声かけが被害を未然に防ぐ重要な役割を果たしているのです。
警察は全国のコンビニと連携し、以下のような取り組みを進めています:
- 高額なカード購入時の声かけマニュアルの作成
- 詐欺防止の啓発ポスター・チラシの店内掲示
- 店員向けの詐欺手口に関する定期研修
- 一定額以上の購入時の警察通報システム
- レジ端末での自動警告表示機能
実際、全国のコンビニ店員による声かけで、年間数百件もの詐欺被害が未然に防がれているとされています。
新潟県内の特殊詐欺被害の深刻な現状
新潟県内では特殊詐欺の被害が後を絶ちません。2025年に入ってからも、以下のような深刻な被害が報告されています:
- 上越市内の70代女性が約1億2930万円をだまし取られる被害(1月~3月、22回にわたる送金)
- 柏崎市内の40代男性が約1500万円のオレオレ詐欺被害(1月)
- 新潟市西区の20代女性が副業紹介詐欺で約1346万円の被害(2月)
- 佐渡市内の60代男性が約1500万円の特殊詐欺被害(5月)
今回の事件が発生した新潟警察署の管内だけでも、年間167件の特殊詐欺が発生しており、そのうち66件が架空請求詐欺だといいます。被害総額は数億円に上ると推定されています。
特に注目すべきは、被害者の年齢層が広がっていることです。従来は高齢者が中心でしたが、最近では20代や30代の若年層も、副業詐欺や投資詐欺の被害に遭うケースが増加しています。
私たちができる詐欺対策
この事例から学べる教訓は多くあります。詐欺被害を防ぐために、私たち一人ひとりができることを具体的にまとめました:
1. 電子マネーでの支払い要求は100%詐欺
公的機関や正規の企業が、電子マネーカードでの支払いを要求することは絶対にありません。「プリペイドカードを買って番号を教えて」「コンビニでギフトカードを購入して」と言われたら、それは100%詐欺です。すぐに電話を切り、警察に通報してください。
2. 「今日中に」「すぐに」は詐欺の常套句
詐欺師は必ず被害者を急がせます。「今日中に」「すぐに」と急かされる場合は、冷静になりましょう。一度電話を切って、公式の連絡先に自分から確認の電話をかけることが重要です。正規の機関なら、必ず待ってくれます。
3. 家族や地域で高齢者を見守る
特殊詐欺の被害者の約70%は65歳以上の高齢者です。家族や地域で高齢者を見守り、不審な電話やメールについて日頃から話し合う機会を持つことが大切です。「こんな電話が来たら詐欺だよ」と具体例を共有することで、被害を防げます。
4. コンビニでの高額購入者に気づいたら
コンビニで誰かが大量の電子マネーカードを購入しようとしているのを見かけたら、店員に伝えることも一つの方法です。特に、高齢者が焦った様子でカードを購入している場合は要注意です。周囲の気づきが被害を防ぐことにつながります。
5. 留守番電話の活用
知らない番号からの電話は、一度留守番電話に切り替えることをお勧めします。詐欺師は留守番電話にメッセージを残しません。本当に必要な連絡なら、相手は必ずメッセージを残すはずです。
多様性が生む社会の強さ
今回の事例は、国籍や文化の違いを超えて、人々が互いに助け合うことの大切さを教えてくれます。アレさんとカトリさんは、日本語が完璧ではない中、怒鳴られながらも冷静に対応し、見知らぬ日本人の高齢者を守りました。
「ネパールでも日本でも、困っている人を助けるのは当たり前のこと」とアレさんは語ります。この普遍的な価値観が、国境を越えて人々をつなぎ、社会をより良いものにしているのです。
外国人労働者に対する偏見や差別が存在することも事実です。しかし、このような事例が広く知られることで、彼らの貢献が正当に評価され、より包括的な社会が実現することを期待します。
ルールを守ることの真の意味
この事件で最も重要だったのは、アレさんとカトリさんが「5万円以上のカード購入は店長に確認する」という基本的なルールを忠実に守ったことです。どんなに客に急かされても、怒鳴られても、ルールを曲げませんでした。
職場のルールは、時に面倒に感じることもあります。「なぜこんなルールがあるのか」と疑問に思うこともあるでしょう。しかし、どのルールにも必ず理由があり、誰かを守るために存在しています。
今回の事例は、日々の業務における基本的なルールの遵守が、いかに重要な結果につながるかを示す完璧な例となりました。ルールは単なる制約ではなく、人々の安全と幸福を守るための知恵なのです。
まとめ:小さな勇気が生んだ大きな成果
ネパールから来た2人の若者が、日本の高齢者を30万円の詐欺被害から救った物語は、私たちに多くのことを教えてくれます。
言葉の壁があっても、怖い思いをしても、正しいと信じることを貫く勇気。店長から教わったルールを守り抜く誠実さ。そして、困っている人を助けたいという純粋な思いやり。これらすべてが、30万円という大金と、一人の高齢者の尊厳を守ったのです。
特殊詐欺は年々巧妙化しており、誰もが被害に遭う可能性があります。2025年の全国の被害総額は、すでに数百億円に達していると推定されています。しかし、アレさんとカトリさんのように、周囲の人々が注意を払い、声を上げることで、多くの被害を防ぐことができるのです。
この事例が広く知られることで、全国のコンビニ店員や地域住民が詐欺防止への意識を高め、さらに多くの被害を未然に防ぐことにつながることを願っています。そして、日本で働く外国人の方々の貢献が、より広く認識され、感謝されることを期待します。
私たち一人ひとりが、自分の身の回りで起きている小さな異変に気づき、行動を起こすこと。勇気を持って声を上げること。ルールの意味を理解し、それを守ること。それが、詐欺のない安全な社会を作る第一歩なのです。
深夜のコンビニで起きた20分間の出来事は、決して大げさなドラマではありません。しかし、その20分間に詰まった勇気と誠実さは、私たちの社会全体を照らす希望の光となっているのです。
