2025年7月4日、人気バラエティ番組「世界の果てまでイッテQ!」(日本テレビ系)のロケで、お笑いコンビ「ロッチ」の中岡創一(47)が第2腰椎圧迫骨折の疑いで全治数か月の重傷を負った。これは同番組での2度目の骨折事故である。なぜ同じ番組、同じ出演者で繰り返し事故が起きるのか。番組の安全管理体制と、芸人が背負う「体を張る」という宿命について検証する。
繰り返される骨折事故 – ロッチ中岡の2度目の悲劇
今回の事故は、ベトナムでのロケ中に発生した。中岡は「ロッチ中岡のQtube」という企画で、人気動画を再現しようとモーターボートを使用中、激しく臀部を打ち付けた。現地の病院で第2腰椎圧迫骨折の疑いと診断され、全治数か月という重傷だ。
実は中岡にとって、これは2度目の骨折事故となる。2022年3月にも同じ企画で右足首の外側くるぶしを骨折し、2か月の療養を余儀なくされた。わずか3年で2度の骨折。これは単なる不運では片付けられない問題だ。
過去の事故歴が示す構造的問題
発生年 | 出演者 | 怪我の内容 | 企画内容 |
---|---|---|---|
2019年 | みやぞん | 足首骨折 | 世界の果てまでイッテQ |
2019年 | フォーリンラブ・バービー | アキレス腱断裂 | 世界の果てまでイッテQ |
2022年3月 | ロッチ中岡 | 右足首骨折 | ロッチ中岡のQtube |
2024年 | 森三中・黒沢かずこ | 頭部外傷 | 世界の果てまでイッテQ |
2025年7月 | ロッチ中岡 | 第2腰椎圧迫骨折(疑い) | ロッチ中岡のQtube |
この表を見れば一目瞭然だが、「イッテQ」では定期的に重傷事故が発生している。特に注目すべきは、同じ出演者が同じ企画で繰り返し事故に遭っている点だ。
「何の後悔もない」中岡の言葉に見る芸人の矜持
事故後、中岡は自身のX(旧Twitter)で次のようにコメントした。
「47歳の中岡です、尻もちついて怪我してしまいました。阪神タイガースが強いおかげで心は癒されております。心配しないでください」
さらに番組を通じて以下のコメントも発表している。
「ロッチ中岡にとって、全力で挑戦して、我を忘れることができる番組があることが、本当にかけがえのない幸せです。そんな番組で怪我をしたことに何の後悔もございません」
この言葉からは、体を張ることが芸人としてのアイデンティティーになっている現実が浮かび上がる。47歳という年齢にもかかわらず、「バカなことをして笑いを取りたい」という思いが、危険を顧みない行動につながっているのだ。
芸人が背負う「体を張る」という十字架
日本のバラエティ番組では、芸人が体を張ることが「笑い」として成立してきた歴史がある。特に「イッテQ」のような冒険バラエティでは、出演者が限界に挑戦する姿が視聴者の共感と笑いを呼ぶ。
- 視聴率のプレッシャー:高視聴率番組ほど、より過激な企画が求められる
- 芸人としての使命感:「笑いのためなら何でもする」という職業意識
- 競争原理:他の芸人との差別化のため、より危険な挑戦を選ぶ
- 番組への恩義:レギュラー番組への感謝から、無理をしてでも応える
私たち視聴者の”共犯性”を考える
ここで、あえて不都合な真実に触れなければならない。それは、私たち視聴者も、この問題の一端を担っているということだ。
「イッテQ」が高視聴率を維持し続ける理由の一つは、出演者が限界に挑戦する姿を、私たちが「面白い」と感じ、支持してきたからだ。TwitterやYouTubeで「神回」として拡散される動画の多くは、出演者が危険と隣り合わせの挑戦をしている場面だ。
視聴者心理の二面性
- 表向きの心配:「大丈夫?」「無理しないで」というコメント
- 本音の期待:「もっと面白いことをしてほしい」「限界に挑戦する姿が見たい」
この矛盾した心理が、番組制作側に「もっと過激に」というプレッシャーを与えているのではないだろうか。事故が起きれば批判するが、普段は危険な企画を楽しんでいる。この二面性を、私たちは認識する必要がある。
日本テレビの対応と繰り返される「再発防止」の空約束
今回の事故を受けて、日本テレビは以下のコメントを発表した。
「負傷された中岡さん、関係者の皆様、ご迷惑をおかけした全ての皆様に心よりお詫び申し上げます。今後はあらゆる角度から安全確認をより一層徹底し、再発防止に努めながら番組制作を続けてまいります」
しかし、この「再発防止」という言葉を、私たちは何度聞いてきただろうか。2019年のみやぞん骨折時も、2022年の中岡初回骨折時も、同様のコメントが出されていた。それにもかかわらず、事故は繰り返されている。
SNSで噴出する批判の声
今回の事故に対して、SNS上では厳しい批判の声が相次いでいる。
- 「やっぱり日テレは何も反省してないな」
- 「日テレの言う『再発防止』って一体何なんだ?」
- 「同じ人が2回も骨折って、もはや労災では?」
- 「視聴率のために芸人の体を犠牲にする番組作りはもうやめるべき」
特に、労働安全の観点から問題視する声が増えている。一般企業であれば、同じ作業で繰り返し労災が発生すれば、厳しい指導や業務停止命令が下される可能性もある。
労災認定と保険の観点から見る問題
一般的に、業務中の事故は労災として認定され、補償を受けることができる。しかし、芸能界では「体を張る」ことが仕事の一部とされ、グレーゾーンが存在する。
項目 | 一般企業 | 芸能界(バラエティ) |
---|---|---|
危険作業の定義 | 明確に規定 | 曖昧(演出の一部) |
安全管理責任 | 使用者責任明確 | 自己責任の要素強い |
労災認定 | 比較的容易 | ケースバイケース |
保険料率 | 業種別に設定 | 個別交渉が多い |
保険会社の視点から見ると、「イッテQ」のような番組は高リスクと評価される。実際、番組の保険料は年々上昇しているという業界関係者の証言もある。これは結果的に制作費を圧迫し、さらなる安全対策への投資を困難にする悪循環を生んでいる。
海外の安全基準と日本の現実のギャップ
興味深いことに、今回の事故はベトナムでの撮影中に起きた。海外ロケでは、現地の安全基準や医療体制の確認がより重要になる。
海外ロケ特有のリスク
リスク要因 | 具体的な問題 | 必要な対策 |
---|---|---|
言語の壁 | 緊急時のコミュニケーション不足 | 現地通訳の24時間体制 |
医療体制 | 日本と異なる医療水準・設備 | 事前の医療機関確認、保険の充実 |
安全基準 | 国による規制の違い | 日本基準での独自チェック |
緊急搬送 | 搬送体制の不備 | ヘリ搬送などの準備 |
欧米の放送局では、危険を伴う撮影には必ず安全管理責任者(セーフティ・オフィサー)が同行し、リスクアセスメントを行う。一方、日本のバラエティ番組では、ディレクターの判断に委ねられることが多く、専門的な安全管理が不十分なケースが散見される。
視聴率至上主義からの脱却は可能か
「イッテQ」は日本テレビの看板番組の一つで、毎週高視聴率を記録している。2025年現在も、日曜日のゴールデンタイムで15%前後の視聴率を維持する人気番組だ。
しかし、この高視聴率の裏には、出演者たちの文字通り「体を張った」努力がある。問題は、この構造が変わらない限り、事故は繰り返されるということだ。
番組制作側が考えるべき改革案
- 安全管理専門スタッフの常駐:すべてのロケに安全管理責任者を同行させる
- リスクアセスメントの義務化:企画段階で危険度を数値化し、一定以上のリスクは却下
- 年齢別の出演基準設定:40代以上の出演者には、より厳格な安全基準を適用
- 事故発生時の番組休止ルール:重傷事故が発生した場合、一定期間の放送休止と検証
- 第三者機関による安全監査:外部の専門家による定期的な安全管理体制のチェック
芸人の健康と笑いの両立を目指して
中岡は「何の後悔もない」と語ったが、腰椎圧迫骨折は決して軽い怪我ではない。後遺症が残る可能性もあり、今後の芸人生活にも影響を与えかねない。
47歳という年齢を考えれば、体力的な衰えは避けられない。それでも「バカなことをして笑いを取りたい」という中岡の思いは、多くの芸人に共通する感情だろう。
新しい笑いの形を模索する時代へ
近年、YouTubeやTikTokなどのプラットフォームでは、体を張らない新しい形の笑いが生まれている。言葉遊びやシチュエーションコメディ、知的なユーモアなど、身体的リスクを伴わない笑いも十分に成立することが証明されている。
テレビ業界も、この変化を受け入れる時期に来ているのではないだろうか。視聴者も、出演者の安全を犠牲にした笑いを本当に求めているのか、改めて考える必要がある。
まとめ:笑いと安全の新たなバランスを
ロッチ中岡の2度目の骨折事故は、日本のバラエティ番組が抱える構造的な問題を浮き彫りにした。「体を張る」ことが美徳とされる芸人文化と、視聴率を追求する番組制作側の思惑、そして危険な笑いを求める視聴者の期待が重なり、安全管理が後回しにされている現実がある。
しかし、時代は変わりつつある。SNS上での批判の高まりは、視聴者の意識が変化していることの表れだ。出演者の健康と安全を守りながら、質の高い笑いを提供することは決して不可能ではない。
日本テレビをはじめとする放送局は、「再発防止」を口にするだけでなく、具体的な行動で示す必要がある。そして私たち視聴者も、どんな番組を支持するかという選択を通じて、テレビ業界の変化を促すことができる。
中岡の「何の後悔もない」という言葉が、これ以上繰り返されることのないよう、今こそ真剣に番組作りのあり方を見直す時だ。笑いは人を幸せにするものであって、誰かの犠牲の上に成り立つものではないはずだから。